《秋の訪れ、ニンフの婚姻》 序 (作:ブルーミント・ユー(Blueminto You))

《秋の訪れ、ニンフの婚姻》 序

序:古き森

泥のように柔らかい眠りの中で、クリノは琴の音を聴く。時にためらいがちに、時に大ぶりに弾き鳴らされる弦の音は、速さとしてはとても緩やかだ。きちんと耳を澄ませていないと、それが一連なりの曲であるとは誰も気が付かないだろう。それでも、音は枯れ葉のごとくひらり、ひらりと耳の中に舞い落ちて、意識の奥にそっと降り積もっていく。
その寂しげな音色をよすがに、クリノは微睡みの淵よりゆっくりと浮上する。頭上を覆う枝々は幾重にも葉擦れを為し、遠くの波音は地を這って草花を揺らす。この地で立てられる遍くさざめきを一つに束ねるようにして、弦の音は尚も静かに響き続ける。

「うん……」

重たい瞼を少し上げると、そこには乳色の靄に包まれた森がある。今夜は風一つ無い故郷の森。甘い匂いのする湿った空気を吸い込むごとに、身体中に力が巡っていく。クリノが僅かに首だけを動かすと、音色の主はすぐ傍に悠々と脚を組んで座っていた。

「レヴァンタ?」

艶やかな睫毛を物憂げに伏せた、美しい女だった。長い手足に衣服は一切身に着けず、健やかな肌を外気に晒し、背筋をぴんと伸ばしている。後ろで一束ねにされた艶やかな黒髪は、差し込む月の光を映して瑞々しく輝いている。その細くも逞しい片腕には、樫作りの立派な竪琴を抱えていた。

「ああ、ごめん。起こしてしまったかな? やっぱりなかなか難しいものだね」

女は肩越しにこちらへ振り向くと、少しはにかんだような柔らかい笑みを浮かべた。涼やかに細められた切れ長の眼は、アメジストの鉱床のように深く濃い紫色だ。その低く甘い声に導かれるようにして、クリノはもたりと頭を起こす。
音色の主が腰かけ、クリノが横になっているのは、複雑な装飾を施された石造りの祭壇の上だ。大人が何人も寝転べる程に広々とした上面には、ふかふかの布団が敷かれ、さらに滑らかな手触りのシーツがそれを覆っている。
人里の機織りがその布を手に取ったならば、そのあまりのきめの細かさに驚嘆することだろう。何の変哲もない布や布団だが、綿よりも柔らかさと伸縮性に優れ、絹よりも滑らかで雅な手触りを湛えている。そればかりか、大の大人が勢いをつけてここに思い切り寝転んだとしても、その下の石の硬ささえ感じることはない。一枚でも人の里にあれば、非常に価値のある素材と見なされるに違いない。
しかし、この森に熟達の機織り職人などいないし、綿の花も咲いてはいない。奇妙なことにその布には、縫い目や折り目の類がまったく見当たらない。それはこの世にまたとない工芸品であると同時に、人の手によって作られた物ではありえないという矛盾を孕んでいるのだった。

「これは『フラッフィーの眠り』と呼ばれる曲でね。南の遠くの島で、人間達がオルトロスという怪物を眠らせるために奏でていたものなんだ」
「眠らせる? 怪物なら、やっつけるのではなくって?」
「普通はそうなんだけれど、オルトロスはどうも特別らしい。水道の源泉である水脈とか、神秘の宝物を隠した洞窟とか、そういったところを守るために作られて、使役される魔物なんだそうだ。そして、この曲は彼らを御するために使われる」
「レヴァンタが従わせようとしていたのは、何?」

長く大きい指によって、琴の弦がまた小さく震わされる。微かな余韻が少しの間だけ辺りに漂い、やがて靄の中に混ざるようにして消え失せた。

「もちろん、ここのところのクリノの悩み事さ。私の大切な女(ひと)の眠りを妨げる、とっても悪い怪物だからね」

愛用の琴を抱きしめて笑う昔馴染み──レヴァンタの言葉は、いつもクリノの胸の中に暖かい灯を点してくれる。クリノは薄緑色の大ぶりな垂れ目を細めると、ただ心のままにレヴァンタへと微笑みかけた。
クリノの月のように輝く白銀の髪──これは人型の精霊種に特有の毛色でもある──が、シーツの上にさらさらと流れて後を引く。その髪の先が、傍らに眠っていたもう一人の女の鼻先をくすぐった。
クリノの傍だけではない。布団の上には、二人と同じ年頃の三人の女が横たわり、めいめいに安らかな寝息を立てている。石造りの寝台の上のシーツと布団は、大シケの海のように千々に乱れ、所々が湿っている。そして、その上にある五人ともが一糸纏わぬ裸であった。
神聖なる祭壇の上で女達が何を行っていたかは明らかであるが、彼女らを咎める者はこの世のどこにも居るまい。何せ、この祭壇によって祀られるものとは、今まさに事後の談笑を楽しむこのクリノ達をこそ指すのだから──この島の祭壇は生贄のためにあらず、彼女らが休み、また楽しむためにあるのだ。

「もう、悩みなんて無いったら。怪物だってそうよ。この島の上に居て悩む事なんてあるの?」
「でも君、最近どうも眠りが芳しくないって言ってただろう。君のために何か出来たらいいなと思って、密かに練習してたんだ」
「心遣いをしてくれるのは嬉しいけれど、あなた、そのためにまた夜なべしたんでしょう。それじゃ本末転倒よ……私を悩ませるものがあるとしたら、それはあなたの無理をしすぎるクセよ」
「無理なんてしてないよ。ちょっと調べものするくらいならワケはないさ」
「本当にそうだといいけれど……いつかみたいに倒れたりしないでね。それだけは本当に嫌よ、レヴァンタ」
「分かってるよ……」

レヴァンタは誤魔化すように視線を落とすと、傍らで眠る女の髪に指を通し、さらさらと梳った。艶めいた金髪をした娘は、涎を垂らしながらすっかりと寝入っている。正しく悩む事など何も無いといった呑気な寝顔を見ながら、レヴァンタがぽつりと呟いた。

「私では、まだまだ腕が足りないのかな」
「彼女達だって、わたし達の次くらいには力のある子達でしょう。それを眠らせることができるのだから、やっぱり凄い曲なんじゃないかしら」
「いやあ、どうだろう。そうとも限らないよ。みんな、元々このくらいの音では全く起きないたちだろう? それに、眠りに落ちるまでにだいぶ疲れさせてしまったからね」

顔をしかめて小さく頬を掻くレヴァンタ。昔から知っている彼女のこういった幼気な仕草を見ると、クリノは無性に安心する。レヴァンタの艶めかしい肢体は魅力的ではあるが、一番心を揺り動かされるのは、その根底にある素朴な性分に触れられる時だ。本当に彼女のことを好きなのだと実感できるのはこういう時である。

「今日も大人気でしたものね、『みんなのレヴァンタ様』……ふふ、羨ましいったら」
「まあ、この子達とは肌を重ねてきた時間もそれなりだから。ええと、ラルとが200年で、メヌエとが160年、ヴァイオが80年程の付き合いかな。それだけ長ければ、扱いにも慣れたものさ」
「ええと、また人間の暦を数えてるのね? それだと、私とはどのくらいになるのかしら」
「私が生まれた年からだから、もう250年くらいになるよ」
「前に聞いた時は何年って言ってた?」
「200年だったっけ。むろん、君が文句なしで一番長い」
「ふうん、そう。じゃあ、私のこともすっかり『慣れたもの』なのかしら」

冗談めかしたクリノの問いかけに、レヴァンタは意味深な目配せで応える。そしてクリノの輝く髪を一房手に取ると、キザな仕草でその髪先に口付けた。神経の通っていない箇所へのキスであるのに、思わず肩が跳ねてしまう。レヴァンタの菫色の眼が妖しく細められた。

「君について言えば、そう言い切ってしまうと嘘になるな。君は私の初めてだから」
「あら、そう。とっくに忘れちゃったのかと思ってた」
「とんでもない。何事も初めてというのは強く胸に刻まれるものだし、改めて向き合うと特別な気持ちが湧き上がってくるものだ。私にとっての君もそういう女(ひと)なんだよ」

レヴァンタは竪琴を祭壇の脇に置くと、身体をクリノのすぐ傍へと寄せた。レヴァンタの端正でミステリアスな顔がすぐ近くにやって来て、またもクリノの胸が躍る。その桜色の唇からちろりと舌が覗いた時、自然と彼女の意図が察されて、心臓の高鳴りはいや増した。

「……ん、」
「んぅ──っ」

二人は共にめいめいの表情を湛えたまま、ひたりと唇を重ねた。レヴァンタの薄く瑞々しい唇の感触が、クリノの胸を更に高鳴らせる。薄く敏感な皮膚を幾度も吸い合いながら、伸ばし合った互いの手を探り当てた時、鼻にかかった声が同時に漏れた。
ずっと昔から幾度も重ねてきた、挨拶のキス。「お早う」にはまだ気の早い時分だが、二人にはあまり関わりのない話だ。レヴァンタの深く潤んだ瞳が、すぐ間近でこちらを見つめている。こうした時、クリノはいつも「目を覚ますたびにこの宝石を眺められたら、どんなに良いだろう」と願ってやまない。
甘い笑い声と共に、二人は二度、三度唇を吸い合い、今度は舌先でもって互いの内側へぬるりと入り込んだ。尋常の人間であれば、寝起きの咥内などとても口付けできたものではないだろう。しかし、二人の熱い粘膜はむしろ食べ頃の果実にも似た甘みを含み、味わう者達をますます深みへと導いていく。

「んぐ、れる、む、んぅ……」
「むん、う……ちゅ、ちぅ……」

ぼうっとしたの起き抜けの頭のまま、敏感な粘膜をゆっくりと擦り合わせる営みに、クリノはたちまち夢中となった。腹の内に甘い熱がふつふつと湧き立ち、色白の身体を真っ赤にせずにはいられない。もっともっとと、相手の温もりを求めてやまない気持ちが溢れてくる。
クリノはレヴァンタの引き締まった内腿に、レヴァンタはクリノのなだらかな肩口に手を伸ばし、それぞれ欲求を込めた手つきで撫でさすった。淫らに変わっていく指遣いに伴って、浅く始まった口づけも急速に濃密さを増していく。舌同士を境目を無くすほどに絡め合い、口蓋を使った性交に耽る。間近で駆け引きめいて絡め合う視線も、ぐつぐつと温度を増していく。

──と、寝床の周囲の地面に不思議な変化が起こった。元々、祭壇の周りには不自然なほどに真緑のツタが絡まり、また数えきれないほどの花々が乱れ咲き誇っていた。その花々の間から、また競うようにして幾筋もの花の茎が伸びてくるのだ。
花の先端の蕾は破裂しそうなくらいに熟れ、二人が切なげに肩を震わせるごとにぎゅうと膨らんだ。季節はとっくに秋の入り口にあるにも関わらず、女達の寝床の周りだけが、まるで真夏のように命の情熱を謳っている。
粘った水音が響き渡るに伴い、蕾達はどんどんと数を増していく。絵画にも表せない光景を眺めるのは、草花に覆われつつある神秘的な祭壇のみだ。祭壇を彩る複雑な彫刻には、古代に生きた神官達の文字でこう書かれている。

──二大女神の裔にして化身、麗しきニンフの止り木とならんことを。

数百年の時の流れをごく身近に語り、周囲の生命を活気づかせるクリノ達が、当然人間であるはずもない。海と大地とを家とし、遍く命を祝福する精霊種。二大地母神の娘達、「小女神ニンフ」。そう呼ばれるものがクリノ達の正体だ。
温和で争いを好まぬ性質ながらも、その身に秘めたる魔力は長大。念ずるだけで布を紡ぎ出すなど造作もなく、また飢えたり老いたりすることも決してない。
そして、その魔力は彼女達の魂が愛欲の昂りを覚える時、一層強く辺りに発散されるのだ。

「……クリノ、舌を」
「ん……」

誘われるままに舌を突き出すと、切なげに眉を寄せたレヴァンタがむしゃぶりついてくる。その子供じみた仕草が、またクリノのヘソの下に熱い疼きを催させる。レヴァンタの豊かな乳房をやわやわと楽しみながら、熱い咥内で舌をそよがせて柔らかさを楽しんでいると、その肉畝が急激にぎゅうと狭まった。
大きな手で腰元の稜線をねっとりと撫で付けられると同時、窄めた口唇で舌中の性感帯を一気に締め上げられる。たちまち眉間の内側に火花が散って、首の後ろの頸椎へと点火し、そこから身体中へと甘い痺れが伝わっていく。

「るぅ、っじゅう、れぉお、お、お、ぅ──!」

レヴァンタの潤んだ両瞳に見守られながら、クリノはとぷりと溢れ出すように絶頂した。祭壇周りの幾つかの蕾がはらりと綻び、輝かんばかりに鮮やかな花弁を露わにする。まるで森の生み出した淑女の幸福を寿ぐように。

「ふふ、キスだけで気をやってしまったね。素敵だ……」
「はあ、はあっ──! もう、いっつも簡単にやられちゃう」
「そりゃ、この世で一番知ってる身体だもの。当たり前じゃないか」
「むぅ……」

息を整えながらむくれるクリノ。しかし、衣ひとつも纏わぬ姿では、その身から立ち上る欲情の濃密さを隠し通すことは出来ない。あられもない姿を見たレヴァンタの両眼に、更なる喜びが宿るのが分かって、クリノはたまらなく嬉しくなった。

「クリノ……っ」

レヴァンタの両脚に力が入り、今にもクリノに覆いかぶさらんとしたその時、二人の傍らで何かがもぞりと動きを見せた。レヴァンタの目に理性の光が戻り、とっさにそちらを振り向く。それは先程レヴァンタが撫でていた、一際レヴァンタに心酔するニンフの一人だ。寝ぼけ眼のニンフが、見事な金髪をくしゃくしゃとかき上げながらぼんやりと返事をする。

「おや、ラル。お目覚めかい」
「レヴァンタさま……? と、クリノさま」

起き掛けのニンフはクリノらと同じく見目麗しい風貌をしているが、二人より少し年下らしい風貌で、体格もやや小さい。それは辺りに寝そべる残りの二人も同様だ。肉体という面に関して言えば、一際大きな力を持つクリノとレヴァンタの方がこの島では特殊なのだった。自意識と存在の器とが大きいニンフほど、より優れた肉体を持つ。

「ごめんよ。うるさくしてしまったかな?」
「いいえ、うるさくだなんて……でも、琴が聞こえなくなったから……」
「琴? さっきの『フラッフィーの眠り』が?」
「あは、また新しい曲を覚えられたのですか? レヴァンタ様ったらさすがだわ……」

顎に手を当てて真剣に考え込むレヴァンタの様子は、とても先程まで爛れた行いに耽っていたとは思われない。好奇心の強いニンフは数あれど、レヴァンタの探求心は群を抜いている──目の前で起こったことをただ受け入れるのではなく、検証する。何故それが起こったのかを追究する。それは、ただ自然と共に在るべき精霊種としては異質なのかもしれない。しかし、紛れもなくこのレヴァンタという名のニンフの備えた性質なのだった。

「君はずっと眠っているように見えたけれど、見間違いだったかな」
「眠ってましたわ。でも、琴の音はずっと聞こえていました」
「ふむ?」
「あたし、今日は夢は見なかったはずなのに、ただレヴァンタ様の琴だけがずぅっと頭の真ん中を流れていて。小川みたいに、さらさらと……でも、その流れにただゆったりと身を任せてるのが何だかとっても気持ちよくって……」
「とても興味深い話だね。本で読むところによると、人間は眠っていても外の音をずっと聴き続けているというが……身体の調子はどうかな?」
「そういえば、いつもの眠りよりも何だか頭がすっきりしているような……とってもいい目覚めです。今まで感じたこともないくらい」

レヴァンタの顔がぱあっと輝く。上手く行くか分からない事に挑戦し、それに成功することは、たまらない喜びを彼女の魂に与えるようだ。レヴァンタの眩しい笑顔を一番近くで浴びて、ニンフもまた嬉しさに頬を染める。

「あたし、レヴァンタ様のお役に立てました?」
「ああ、もちろんだとも! やはり『フラッフィーの眠り』の力は本物なのかもしれない。後の二人にも話を聞いてみたいな。ラル、済まないがどちらかを起こしてもらえるか?」
「はぁい。メヌエならすぐに起こせますよ」

目を輝かせるレヴァンタに、彼女は婀娜っぽくしなだれかかる。肩越しに語り掛けるその顔には、淫猥な期待が満ち満ちている。ニンフはレヴァンタの耳元に小さく口付けると、声を潜めて小さく囁く。

「ね、キスして……? レヴァンタ様のお上手な、深ぁくて気持ちいい口吸い」
「……欲張りだなぁ」
「だって、クリノ様ばっかりずるいの。起き掛けの感じやすい身体をレヴァンタ様に愛されるの、とっても気持ちいいんだもの。ねえ、お願い……」

ニンフ種は穏やかな気質の反面、とかく性愛において奔放な精霊でもある。友人以上の関係であればいとも容易く情を交わし、複数人で歓びを分かち合うことも決して珍しいことではない。クリノとて幾たびも仲間達を閨へと誘い、この地の至る場所で逢瀬を重ねてきた身だ。
なのでクリノにはレヴァンタの次の言葉が分かっていたし、実際にその通りになった。

「まったく、しょうがない子だ……ほら、おいで」

レヴァンタはニンフの頭を片手で優しく支えると、慣れた仕草で舌を伸ばし合う。やがて二つの情欲のせめぎ合いは水音となり、強く辺りに響き渡り始めた。

「れる、れぇっぢゅ、ちゅるぅ、うむ……」
「は、はぁっ、ちゅ、ぢゅるる、ちう……」

先程クリノと交わしたものとは違う、貪るように性急な口唇の交わり。端々に漏れる少し濁った声さえも、レヴァンタの風貌には不思議とよく似合う。相手を浚われた形になるクリノも、見ているだけでまた腹の奥底が潤んでくるほどだ。
と、未だシーツに横臥しているニンフの一人に変化が起きた。口元をうにゃうにゃと動かしながら、身体を小さく震わせている──まるで、レヴァンタと貪り合うニンフと同期するかのように。
赤みがかった短い髪のニンフは、眉根を寄せ、顔を真っ赤にして強くシーツにしがみつく。やがて口元を押えてがばりと身を起こすと、睦み合う二人の方にきっと向き直った。

「ちょっと、ラル! いきなり何やってんのさ!」
「贅沢のお裾分けよ。期せずしてレヴァンタ様の研究に貢献できたみたいだから、ご褒美を頂いてたの。美味しかった?」
「お、美味しかったっていうか、そりゃ気持ちよかったけど……『契り』の相手をよそにそういうことするって、どうなわけ」
「メヌエだって大好きじゃない、レヴァンタ様とのキス。今更気にすることでもないと思うのだけれど」
「お前なあ。言ってることは間違ってないけどさ……」

悪戯ニンフは舌なめずりしながら目覚めた相方ににじり寄り、かぶりつくようにして唇を奪った。獰猛な攻めの舌遣いで、レヴァンタからたっぷり掬い取った唾蜜を相手の咥内へと塗りたくる。レヴァンタも二人の体の隙間から手を伸ばし、その身体のあちこちをねっとりと甘やかす。二人は共振するかのように身体をひくつかせ、敬愛する人の掌に酔いしれた。
ややあってキスが終わる頃には、起き掛けのニンフはすっかりとろとろに仕上がっていた。祭壇の上にはたちまちニンフの肌の放つ熱気が巡って、外気に晒されたこの閨を決して冷ますまいとする。三人の間には匂い経つ湯気までもが見えそうで、誰の目も情欲の余りにきらきらと輝いていた。

「ね、早く交合いましょう……? そのために今日は一緒なんだからさ。ね、遠慮しないで」
「おや、私の研究を手伝ってくれるんじゃなかったのかな?」
「そんなこと言ったって、メヌエはもう待ちきれなそうですよ? ぼやぼやしてたら焦れておかしくなっちゃって、どの道それどころじゃなくなっちゃうんだし。ねえ、レヴァンタ様ったら」
「最初からそのつもりだっただろ、君は。ふふ、全くこの子は……」
「あ、クリノ様もスキに絡んできてくださいね。それとも、今はお疲れかしら?」
「え? それは……う、うん……」

流れにすっかり置いて行かれたクリノには、曖昧な返事を返すことしかできない。もっとも、この流れに参加しようというのであれば、クリノはいつでも好きに出来る立場にあった。自分もレヴァンタにアプローチをかけるなり、簒奪者にちょっかいをかけるなり、とにかく閨を彩るスパイスとしてこの簒奪劇を楽しめばいいだけのことだった。
なのに、そうしようという気概が、積極性が、今のクリノには欠けていた。事の前触れの淫気にただ股を濡らし、夢でも見るかのように成り行きを見守るのみである。まるで最初から傍観者であったかのように。

「ラルの欲張りっぷりはこの島一かもしれないな」
「こいつのは欲張りじゃなくて強引っていうんですよ」
「まあいいじゃないか。私もそんなラルが好きだし……それで? ご婦婦はどうやって可愛がってほしいのかな」
悪戯ニンフはレヴァンタの指先に小さく口付けると、また妖艶に微笑んだ。
「この素敵なお指が欲しいの……昨晩したみたいに、あたしとメヌエのお腹の中、いっぺんに可愛がってほしいわ……」
「またまた贅沢な注文をするなぁ。あれはとっても骨が折れるんだぜ」
「ご謙遜なさらずに頑張ってくださいよう。あたしもメヌエも、今のですっかり準備は出来てますから。それに、満足させてくれた後は、あたし達も頑張ってご奉仕しますし……」

舌を出したラルが小さくしなを作ってみせると、レヴァンタの大人びた頬が喜悦に染まる。レヴァンタは身体をのそりと動かして二人の元へ行くと、両腿の上に両手の甲を乗せてちょいちょいと指で招いた。湖に咲く花に似て優美な五指は、たおやかに揺れて二人を誘う。
ラルとメヌエは手を取り合い、膝立ちでレヴァンタの両側に移動すると、その大きな体に全身で抱き着く。そして、腿の上で待ち構える指にゆっくりと腰を下ろした。

「ぃ、ん……っ」
「ふぁぁあ……っ」

脚を広げた二人が、女の沼に指をずっぷりと受け入れるさまを、クリノはごく間近で見つめていた。隙間なく密着した三人は、息を張り詰めさせながらも挿入が馴染みきるのを待つ。肌色の濃いレヴァンタに白肌のニンフ二人が抱き着いている有様は、さながら古木と若いサルスベリのようでもある。その有様に、クリノは不思議と触れがたいものを感じていた。

「は……は……っ」
「ふーっ、ふー、ふーっ」
「相変わらずすぐ仕上がってしまうね、二人とも……心を繋げたまま愛撫されていたのだから当然か。契りを交わしたニンフ同士に与えられる祝福、私も早く味わってみたいよ」
「へへ。あたしのプロポーズを蹴った後悔ですか?」
「レヴァンタ様が早くしてくれなきゃ、振られた方は立つ瀬がないですよ」
「言うなって。いろいろと難しいものなんだよ」

どこか誤魔化すようにして苦笑いすると、レヴァンタは迷いのない手つきで二人を掻き乱し始めた。見目麗しい娘達は身体を真っ赤にしながらレヴァンタの体躯にしがみつき、巧みな指攻めに酔いしれる。
幾年も追いかけ続ける憧れの女に性を弄ばれ、またその快感を余すところなく伴侶の女と共有する。濁った声を重ね続ける二人の内にどれだけの悦楽が巻き起こっているのか、クリノは想いを馳せずにはいられない。

「「あっ、ああああああ!」」

番いニンフは蝉の脱皮めいて身を仰け反らせ、すぐに同じ頂きへと達した。祭壇の周りの花々が、また弾けるように咲き誇る。夜の静謐は森の子達の嬌声をも闇へと溶かし、優しく包み込んでいく。三人の肌からはたちまち汗の大露が流れ落ち、寝床のシーツをまだらに濡らした。クリノの深奥も絶え間なく蠢き、垂れ落ちた愛液が大ぶりな尻の下に染みを作る。

「ああっ、またラルのいいとこばっかり……! くそう、あたしより巧いぃ……!」
「はは、これを機にまた覚えていくといいよ。二人の仲のためにもね」
「無理ですよ、メヌエはぶきっちょだもの。結婚してから、レヴァンタ様の攻めを何度も一緒に感じたのに……んっ! ちっとも巧くならないんだから……」
「そんな言い方ないだろお……!」
「こらこら、泣かしちゃ駄目だよ。ラルにはちょっと強めにお仕置きしようか」
「あっあっあっ……!? それ、あっ、あたしもってことじゃん──!」

二人の肉体を自在に弾き鳴らし、絶えずの嬌声を上げさせるレヴァンタ。その無邪気で奔放で、けれど慈愛に満ちた姿に、さらに胸の隅をつねられるような痛みを覚える。巻き起こる気持ちをどうしたらいいのか教えてほしくて、思わずその背に手を伸ばす。
けれどその時、二人のニンフが示し合わせたように背を曲げ、レヴァンタの豊かな乳房の先を同時に唇の中に包み込んだ。不意を突かれたレヴァンタの甘い呻きが、クリノの切ない情欲を煽る。

「お? おっ、お、オ……ッ。ああ、とっても良いよ、二人とも……」

首をがくりと反らし、掠れた艶声を漏らすレヴァンタ。これからレヴァンタの乳首は、芯が通るまで舌の裏でじっくりと甘やかされた後、こりこりに屹立しきるまでいじめ抜かれるはずだ──クリノもあの二人の攻めに骨抜きにされたことがあるから、その快楽がよく分かる。たちまち両の乳首がじいんと疼いてたまらなくなる──しかし、レヴァンタの背中や脚の間に陣取って行為に参加する気にはなれなかった。

(あんなに感じてるレヴァンタの声、久々に聞いた……)

もう、幾年もレヴァンタと二人きりで肌を重ねていない──もっとも、レヴァンタが常に公平を旨としていることをクリノは理解している。助けを求める者には手を差し伸べ、傍に寄る者を拒まず、褥を共にしたいと望む者には喜んでこれに応える。そんな彼女の在り方を、クリノはこの間まで当たり前に受け容れていたはずだった。少し前までの自分であれば、むしろそれを喜んですらいただろう。
なのに、今のクリノの胸の内は複雑だった。この寄る辺のない気持ちは何なのだろう。レヴァンタの周囲に集うあの眩しい景色が、こんなにも遠いのは何故なのか?
この島に住むニンフの多くと同じく、クリノは人間の本を読むことが出来ない。レヴァンタを夢中にさせる幾つもの英知を生み出した人間達であれば、自分のこの寂寞たる思いに名前を付けてくれるのだろうか……。
残念ながら、それ以上の物事を考える暇はクリノには与えられていなかった。クリノの足元で、ごそごそと音を立てて目覚めつつある一つの気配があったからだ。

「ああ、クリノ様……」

三人の織り成す痴態にくぎ付けになっていたクリノは、すぐ傍で五人目のニンフが目を覚ますのにも気が付かなかった。こちらはクリノを慕うニンフの一人だ。寝起きのニンフは子猫のようにクリノの足へと摺り寄り、腿の内側に熱のこもった口づけを見舞ってきた。

「あんっ……! ヴァイオ!」
「クリノ様のほと、もうすっかり出来上がってる。口づけをしてもよろしいですか? 私、皆を見てたらたまらなくなってしまいました……」

熱っぽい手つきに柔肌をまさぐられ、思わず背筋が震えてしまう。力あるニンフの昂ぶりは、近くの生命を活性化させる──それは、ニンフそのものに対しても同様だ。クリノとレヴァンタの甘い睦み合い、それにレヴァンタとニンフ達との交歓が、ただ寝そべっていただけの彼女にも限界近くまでの昂ぶりを与えていたのだろう。

「クリノさまぁ……!」
「ちょっと、こら、ダメぇ……っ、ひゃ、あん!」

待ちきれない唇が一息に陰唇にむしゃぶりついてきて、股間から腰回りへとたちまち絶頂の先触れが込みあがってくる。背を這い上る快感に耐えきれなくて顎を上げると、そこには婦婦ニンフ達とすっかり夢中になって口づけ合うレヴァンタが居る。一際甘い声が上がるごとに、また一輪の花が咲く。昨夜の宴の続きが、五体の境を無くしてひたすらに交じり合う乱れた営みが、またしても幕を上げようとしていた。

「またぼうっとなさって……悪いですけれど、お覚悟いただきますから」
「ふっ、んん……あッ? っふう、ああ──!」

陰核に小さく押し付けられる硬い歯が、クリノの視界を真っ白に染め上げる。不穏な胸の内を吐き出すように大きく口を開け、淑女は性器を甘やかす舌の感触にただ沈み込んでいった。