《白紙の私に無題の道を  第1話 B面に落書きを添えて》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

どんな人間でも、誰かに愛され、必要とされている。そんな名言が、事故で想い出を喪失した私の中に残り、燻っている。
それは“記憶を失う前の私“が特別に意識していた言葉だからなのか、単なる偶然なのか、私にはわからない。
ただ一つ確かなことは、記憶を喪失した私は誰からも愛されず、必要とされていないということだけ。

※※※

真っ白な個室の病室に置かれた白いベッド。そこが交通事故に遭い、リハビリを余儀なくされている私の世界の全て。
私がトラックに跳ねられたのは五日前。私はその時、手足を骨折して思い通りには動かなくなってしまった。
事故の後遺症はそれだけに留まらず……頭を強く打ったことで、これまでの人生を全て忘れてしまった。
幸い、学んだ知識や経験は頭に残っているけど、友達や恋人、果ては家族との想い出も含めて、私の過去に関することは何もかも、心の中に残っていない。

生まれたばかりの赤子が、心に何もないのはそれほど苦痛ではないだろう。全てがゼロなのだから。
でも、私は違う。私にはこれまで生きてきた二十一年分の知識がちゃんと残っている。通っている大学のテキストは、私の恋人……であるらしい日美香ひみかさんに見せてもらった時には滞りなく理解できたし、なんならレポートも両手さえ動けば書けるほどに、知識に欠損はない。
二十一年かけて蓄積した膨大な知識を守るために身代わりになってしまったみたいに、家族の顔も名前も、恋人と過ごしたかけがえのない時間さえ、欠片ほども残っていない。
知識が残っていることが余計に、心の空白を際立たせる。いまの私はゼロから全てを始めるのではなく、心だけがゼロに戻ってしまったのだと。

私が事故に遭ってからの五日間、朝霧薫子あさぎり かおるこという名前の母親……らしい人物は毎日欠かさず私のお見舞いに来てくれる。
最初の二日間は私に意識がなかったから、日美香さんからの証言だけど、本当のことだと思う。
記憶がない私には、ベッドの側にある椅子に座り、怪我をした私のことを心配そうに見つめているこの女性が、本当に私の母親であるのかどうかがわからない。
それでも、目を覚ました私を見た瞬間、泣き始めたこの人が見せた表情は、私を騙そうとしているものでないと、信じられる。
にも関わらず、私はこの人に対して心を開けないでいる。
「絶対、菊花きくかの記憶は戻るからね」
記憶を失った私を勇気付けたいのか、薫子さんは毎日のように私にこれと同じが、酷似した言葉を送り続けてくる。
それがたまらなく苦しかった。こんな風に、自分を全否定されているような気分になってしまうのは、いまの自分を、記憶を失う以前の自分と同じ存在だとは思えていないから。
いまの私にとって、記憶を取り戻すということは、いまの自分を失うことにしか思えない。
薫子さんと日美香さんの言葉では、記憶を失う前の私は明るく活発な性格だったらしい。それに比べていまの私は、知っている人が誰一人として存在しない異世界に一人ぼっち……その不安に怯え、震えている。
いまの私には、記憶を失う前に持っていたらしい明るさなんてどこにもない。そんな状態だから、記憶を取り戻し、以前の明るく活発な私に戻ることは、いまの自分が消えてしまうことにしか思えない。
菊花の記憶は必ず戻る。それが自分の全てを忘れ、怯えている私を勇気付けようとしている言葉であることはわかっている。
だからって、その言葉に傷付かずにいられるかというと、そうじゃない。私なんて必要ない。いなくなってしまえばいい。そんな言葉を、いまの私にとっては見ず知らずの人間から、毎日前向きな言葉として浴びせられ続けることは、耐え難かった。
ましてやそれが、過去の私にとって本当に親しい人からの言葉なのだから。そのせいで、こんな言葉をかけないでほしい、なんて気持ちを伝えることができない。
事故に遭って体が動かなくなった私の面倒を見てくれているのは、他でもない母親である薫子さんと、恋人の日美香さんなのだから。
元の私のことを大切に想っている二人に向かって、いまの自分を失いたくないなんて、とても言えない。
生まれたばかりのまっさらな私にだって、いまの自分が誰にも必要とされていない、生まれるべきではなかった存在であることくらい、自覚している。
ただ単に、自分がそんな存在として扱われることに納得できないだけ。だって私は生まれてから一度も、何もしていないんだから。良いことも、悪いことも、何一つ。

そんな風に自分のことをベッド上で考え込んでいると、優しく二回、ドアがノックされる。
時計を見ると、時刻は夕方の四時過ぎ。このノックの音と時間からすると、やってきたのは恋人の日美香さんだ。
「菊花、元気ー?」
ドアを開けて、日美香さんはいつものように明るく、可愛い笑顔で……それは今日の私にではなく、五日前の私に向けているものだとわかっている。
「私はいつも通りかな」
「あんな大事故に遭ったんだもん、いつも通りでいてくれるだけで充分だよ!」
「そう、だね……」
日美香さんと私は、出会ってまだ三日目だけど、彼女はいつもとても明るい。きっと、以前の私と一緒にいたら、二つの太陽として周囲を明るく照らしていたんだろう。
きっと二人は愛し合っている以上に、きっと相性が良かった。いまの私はとてもじゃないけど、こうした前向きな人と相対すると、身構えてぎこちなくなってしまう。
「日美香さんも来てくれたし、私はこれで帰るわね」
「すいません、気を遣ってもらって」
「いいのいいの。もう私たち、家族みたいなものじゃない」
いつのまにか、薫子さんと日美香さんは打ち解けている。五日前の私なら、二人の間に難なく溶け合うことができたんだろう。
だって薫子さんは私の母親で、日美香さんは私と結婚の約束をしているほど仲のいい恋人なんだから。
「それじゃ、また明日ね、菊花」
病室を出ていく直前に薫子さんが私であって、私ではない名前を呼びながら放った、”また明日”という言葉。それがいまは呪いのよう。
薫子さんとは血の繋がりがあるだけで、心の繋がりはない。薫子さんと心が繋がっていたのは記憶を失う前の私。菊花と出会って、いまの私とじゃない。
そのことを、薫子さんはわかろうとしてくれない。その気持ち自体は理解できる。実の娘が記憶喪失になって、自分との想い出を全て忘れてしまったなんて現実を、簡単に受け止められる親は、それはそれで薄情すぎる。
しかし、気持ちが理解できるからと言って、私が感じている孤独感、疎外感が軽くなるわけじゃない。むしろ、軽くなるどころか、激しくなる。
だって薫子さんは必要としているのは私ではなくて、記憶を失う前の私なんだという実感が強くなるだけなんだから。
そして、私ではなく、記憶を失う前の私を求めているのは、日美香さんでさえ同じ。
「今日はね、菊花が好きなオムライスを作ってきたの」
日美香さんは毎日、記憶を失う前の私が好きだった料理を、わざわざ作って持ってきてくれる。
私が記憶喪失を伴っていなければ、素直に喜べた。日美香さんの料理はとても美味しいし、記憶を失う前後で味覚が変化したわけじゃないらしく、いまの私でも美味しいと感じる。
だけど、日美香さんが私にお弁当を作ってきて、それを食べる。この時間はとても息苦しい。
日美香さんがお弁当を作ってくるのは、”記憶を失う前の菊花が好きなものを食べれば、記憶が戻るかもしれない”という想いから。
私が苦痛に感じているのは、お弁当を毎日作ってもらうのが申し訳ないとか、気持ちが重いとかじゃなくて、このお弁当には”いまの私”への殺意が込められているから。
もちろん、日美香さんはそんなことを考えてはいないことくらい、わかっている。こんな気持ちを吐露してしまえば、被害妄想だと断罪されるのは目に見えている。
だって私は、本来存在してはいけない心なのだから。いまの私が感じていることも、考えていることも、全て間違っている。正しいのは、求められているのは、記憶を失う前の、本当の私。
「どう美味しい?」
「うん、美味しいよ。とっても」
「それじゃ、記憶は戻りそう!?」
「えっと……それは、ちょっと、難しいかな、なんて……」
「って、そりゃそうだよね。好物食べたくらいで記憶が戻るわけないよね。焦らせてごめんね。菊花のペースで、自分を思い出していけば大丈夫だから」
焦らなくていい。一体私は、何を言われているんだろう……記憶が戻れば、私の意識はおそらく消えてしまう。運良く消えなかったとしても、記憶が戻る前の私と同化することは間違いない。
薫子さんも、日美香さんも、結局私に言っていることは全く同じ。”記憶を失ったあなたには、ゆっくり、自分のペースで自殺してくれればいいからね”。
顔を合わせる度にそう言われ、そういう目で見られる。家族に。恋人に。友達に。
それが苦痛で苦痛でたまらないと感じる私は、わがままなのだろうか。身勝手なのだろうか。
戸籍の上では記憶を失う前後で、菊花という人物は地続き。そんな理由だけで、いまの私が消えて失くなることを、なぜここまで強く望まれないといけないのだろう。