《白紙の私に無題の道を 第25話 独り言ドッヂボール》作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

 死んだら意識は消えると思っていたんだけど、実際はそうでもないらしかった。あるいは、私は死ねずに、植物状態に陥っているのかもしれない。どうせ身動きが取れないなら、意識なんてない方がよかったのに。

 私が死にたくなる気持ちはわかるよ。こんなしょうもない世界で生きていくなんて、やってられないよね。それだけ失望が募ってるのに、本当は世界を殺したいのに、自分を殺しちゃうのが、私らしいね。

 なんてことを考えていたら、思考が乗っ取られる……いや、そんな違和感があるかのような表現は全く似つかわしくない。完全に私が私であるがままに、菊花が私になり、私が菊花になった。

 シームレスに菊花と入れ替わる感覚と比べたら、喰べられる方が遥かにマシだった。喰べるという行為は、異なる二者間でしか成立しない。喰べることで相手を取り込んで、自分の一部にするなんていう考え方は、あまりにも独りよがり。取り込んだ相手はただ殺すだけ。自分の中で生きたりなんてしない。

 その残酷さが、私を私のままにしてくれた。私の記憶が菊花に取り込まれても、私は私でしかなかった。それだけが、菊花が前提の人生を歩むことしか許されない私の救いだったのに……菊花は平然と、一線を超えてくる。

 せっかく私とお話ししようと思ったのに、私ってばそうやって自分の中に引きこもってばっかりじゃ、会話にならないよ。

 自分が連続ではなく、断続するというあまりにもあんまりな行為が、こうしてまかり通っている。菊花は自分がその主導権を握っているから平気なんだろうけど、私からしたらたまらない。

 会話しに来たって言ってるよね? 私同士の会話だからこうなってるだけで、言いたいこととか、思いたいことがあったら、ちゃんと思えるようにしてるつもりなんだけど。数えたらわかるけど、私よりも、私の方が思考してる量は多いはずだよ?

 流暢に、私と菊花がさも対等であるかのように語るけど、そんなはずない。そもそも私は、菊花が対話可能な相手だと思っていない。いつも私のことを一方的に決めて、その結果、蓮と日美香まで振り回している。私だけを犠牲にしているならまだしも、大切な二人のことまで巻き込んでいるのは許せない。

 許せないって言うけど、喉にボールペンを刺したせいで、外は日美香と蓮を巻き込んで大騒ぎだよ? たぶん。記憶を取り戻して自分が死ぬのはイヤだからって、足掻いたのは当然のことだと思うけど、今回のことは私のことを言えないと思うな。

 菊花の言動を正しいと思うことなんてほとんどなかったけど、今回ばかりは正論だった。菊花が私を乗っ取らなければ、死んでいたか、もっと酷い怪我をしていた。それでも、菊花の言われるのは納得いかない。私だって、あの人にめちゃくちゃ言われただけだったら、死のうとまではしない。

 死ぬのは簡単じゃないし、恐ろしい。だから、一つの絶望だけでは死に至らない。いくつもの苦痛が幾重にも折り重なって初めて、人は死に至ろうとする。菊花の存在は、死に至るほど致命的ではないけど、死にたくさせる大きな要因の一つ。

 私が死にたくなる気持ちは、すごくわかるよ。私だって自分のこと、死にたくなるくらいキライだし。それだけでもしんどいのに、生きる意味とか、存在する価値を求められたって困るよね。世界で価値があるとされてるものが、全部無価値に見える私にしたらさ。

 急に共感してくるのも、気に入らない。蓮と日美香に限らず、人が人に共感する時、百パーセント完全に合致していると思って、わかるという言葉を口にしない。完全に一致しているつもりでわかると言えてしまう人が、私は苦手だ。

 そして菊花は、私に対しては、完全一致のわかるを使ってくる。私はだから、感情がぴったり重なると疑うことなく。

 こうやって対話しようとしてるんだから、 完全に一致してるとは思ってないよ。鏡に映った自分みたいにそっくりだなとは思ってるけどね。

 鏡写し……その言葉が、私に対してどれだけ攻撃的な意味を持つか、菊花は理解しているはず。それでもあえて、この言葉を使う。菊花からしたら、私と瓜二つである事は自分を脅かさない。鏡の外側にいるのが菊花で、鏡の内側にいるのが私だって、わかっているから。

 私との間に壁を作ってるのは、私の方じゃない? これでも、悪いことしたなって思ってるんだよ。私がもっと早く常識を捨ててたら、私を傷つけずにいられたのになって。自分で自分のことが好きなのは気持ち悪いっていう、中身のない言葉に惑わされて、私のことを大切にしてなかったなって。

 愛する人と出会って、愛されて、それが素敵なことだっていう一般論はその通りだなって思うよ。でもさ、自分で自分を好きになれないと、幸せじゃないって……私のことを大切に想ってくれてる日美香と蓮を見て、気づけたの。これくらい、自分のことを大切にしていいんだって。

 菊花は私が思考することさえ許さず、立て続けに、なんかよくわからない感情を並べ立てた。自分のことを大切にすることは、いいことだと思う。でも、だからって、蓮ろ日美香が私にむけていた感情を、また自分のものにしてくる。

 蓮と日美香が私に向けてくれていた感情は、私だけのもの。二人は私に向けてくれているのとは別にちゃんと、菊花のことを愛していた。私たちは、三人で付き合っていたのか、四人で付き合っていたのか、もっと多かったのか、何人で付き合っていたのか、正確な人数さえわからない。だからこそ、愛を等分していないと胸を張れる。

 そういう関係に心地よさを感じているのに、菊花は平然と奪いにくる。私を喰べるだけなら、まだいい。私と菊花の関係だから。でも、私に向けてくれた蓮と日美香の感情まで喰い物にするのは、絶対に違う。許せない。

 そもそも、蓮と日美香を愛していると口にしている菊花が、二人の感情を無視するのは、矛盾にしか思えないし。

 そこも含めて、悪かったなって思ってるんだよ、これでも。いまだから言えるけど、羨ましかったんだよね、私のことが。生まれたばっかりで、世界のことを何も知らないから、自分のことを大切にできてさ。おまけに、日美香と蓮にも愛されちゃって……

 私はただ単純に、日美香と蓮を二人分愛して、二人分愛してもらいたかっただけなのに、人生のお手本を見せつけられてるみたいだったよ。

 菊花に妬まれていた。まさかこんなことを言われるとは思っていなかったから、どう反応していいのかわからない。私からしたら、菊花の方が羨ましい。自分の人生を当たり前のように持っているんだから、それだけで充分だと思う。

 全然充分じゃないよ!

 私から菊花へ向けた暗澹とした感情を直接体感した菊花が急に感情を荒げた。機嫌が悪くなりたいのは、私の方なんだけど。半分事故、半分故意に私を産んでおいて、自分の都合だけで私を喰べたり、産み直したり。かと思えば、こうやって対話を試みてきたり。自分自身という他人にここまで振り回されている人なんて、世界中探してもいないんじゃないかとさえ思う。

 私は一秒だって、自分の人生を生きてない。どうしたら人に必要としてもらえるか、愛してもらえるかばっかり考えて、自分の人生なんて生きてないよ。私の方がずっとずっと、自分の人生を生きてた。日美香と蓮にたくさんわがまま言って、愛してもらって。全部全部、私がたくさん尽くしたからなのに!

 私が徹底的に菊花との対話を拒否していたことに怒ったのか、ものすごい勢いで菊花の感情が私を押し流そうと、私はそうやってすぐ、自分の世界に入って、自分を生きようとするよね? 本当に私は私のことが大好きだよね? 羨ましいよ、そういうところ。

 無自覚に人を不快にして孤立していくかわいそうな日美香を受け入れてあげて。自分からは何も行動できない蓮の手を引いてあげて。その見返りに愛してもらってたのに。二人に何もあげてない私が二人に私と同じくらい愛されたら、私の存在価値ってなんなのかな!?

 私は菊花とろくに一緒に過ごしていないのに、こんな激情で支配されても、どうしていいのかわからない。菊花は私じゃないけど、自分の半分である事実ことからは逃げられない。だから共存のためにも理解はしたいと思うけど……理解したいって思うのに、そうやってまた、一人で思考を完結させるんだ。そうやって、どんなことが起こっても、自分の世界に逃げ込むところが、羨ましくて、大キライ。

 菊花は菊花で歪んでいると思っていたけど、私は私で相当なものがある気がする。だって、菊花に羨ましくて、大キライとまで思われていた。その事実だけで、ものすごく救われる。私が菊花に一方的に支配されていたんじゃなくて、菊花に影響を与えていた。菊花が私の存在を意識していた。それだけで、存在価値があるような気すらしてくる。

 勝手に救われてないで、私のことも救ってくれないかな? 他人に尽くしてばっかりの私のことを、私はかわいそうだって思ってくれないの?

 いや、思わないけど……って、あまりにもあんまりな菊花の思考に、反射的に返事をしてしまった。言葉という形なら、口を閉ざせたと思う。だけど、思考は言葉よりも形になるのが早いから、ひとつの心の中で会話をしている私と菊花の関係の中では、反射的な感情を相手に隠すことができない。

 私には私のことをかわいそうだって思ってほしいな。

 それは、どういう理由で? 一度返事をしてしまったから、このまま会話が成り立たないふりをするのは諦めざるを得なかった。このまま閉じこもり続けることもできなくはないだろうけど、そんなことをして菊花をいま以上に怒らせたら、どうなるかわからないし。

 私に伝わるってわかってるのに、よくそんなこと思えるね。そんな風に自分勝手にできたらよかったのかもね。それで、私が私のことをかわいそうって思ってほしい理由だっけ。私が観察した限りだと、みんな自分で自分のことをどこかでかわいそうって思ってるでしょ? でもそれって、自分がキライだからじゃなくて、自分のことが好きで好きで、愛おしくて愛おしくてたまらないからだと思うんだよね。

 だから、私は私のことをかわいそうだって思えない。私は私のこと、ちっとも好きじゃないから。私が酷い目に遭っても、仕方ないとか、当然としか思えなくて、辛くてたまらないの。そういうわけだから、私が私のことを愛せなかった分、私が私のことを愛してほしい。ただそれだけの理由だよ。

 蓮と日美香から聞いていたのとは違う、菊花の姿……感情を内側から感じる。菊花が二人へひた隠しにしていた醜い心。日美香が察していたとは思わない一方で、蓮には多少はバレていたと思うけど、ほぼ初対面の私にとってはこういう菊花は意外で、だけど、どこか納得できる部分もあって。

 これまでずっと私は、菊花が私のことを自分と全く同じように扱って、大切にしてくれないのか、疑問に思うところがあった。確かに、私が存在することで菊花の人生が目減りするのは事実だけど、他人をこうも平然と喰べることができるのか……それが理解できなかった。自分を大切にできないからだとしたら、そうなるよなって……

 菊花の自己申告通り、本当に自分自身を全く愛せていないとしたら、記憶喪失中の人格なんていう不安定な心を、こんな風に扱うのは当然だ。振り返ってみると、菊花は私のことを本当に酷く扱ったと思うけど、菊花は自分自身のことも、大切に扱っていなかった。

 三人で付き合うために、半ば意図的に事故に遭ったり。目的があったとはいえ、私を蘇らせるために自分の頭を強く叩いてみたり。菊花が菊花に対して行う無慈悲さが、当然のように私にまで拡大していた。いや、全然、感情的には納得できないけど……筋が通っているとは、言えなくはない気がしなくもない。

 

 だけど、やっぱり、菊花を受け入れようとはどうしても思えない。菊花が菊花を愛せないのは、かわいそうかもしれない。自分で自分を愛せないから、自分の中に他人を造ることで、自分で自分を愛そうとする試み、それ自体が悪と断ずることができるほど、物事を単純に考えたくはない。だけど、だったら、菊花は私のことをもっと大切にしてほしい

 菊花が私に大切にしてもらいたいんだったら、菊花だって私のことを大切に扱ってくれないと、釣り合わない。別に、全てが対等でないといけないなんて思わない。私が蓮と日美香にあげられたものなんて、もらったものに比べたら、ものすごく小さいことは、私が一番よくわかってる。

 だからこそというか、せめてというか、量は同じにはできなくても、同じものを、同じだけあげようとする努力くらいはしてほしい。なんて思うのは、世間知らずの私のわがままだろうか。

 わがままだとは思わないけどさ、普通の人は自分が自分を愛するのに見返りは求めてないよね? 何も考えず、無条件にぼけ〜っと、自分を愛してると思うの。だから私にも、私のことを何も思わず、無条件に愛してほしいの。私は私のこと好きになれないから、諦めてくれたら嬉しいな。

 ここまではっきりと、私を菊花だと信じて疑わず、自分を愛せないから当然私も愛せないと言い切られたら、呆れるしかなかった。菊花が自分を愛せないことはこれまでの言動から予想がつくし、ということは菊花が私を救うこともない。

 唯一私にとっていいことがあるとすれば、私の存在を菊花が必要としているということ。自分で自分を愛するためにシステムとして、私には存在価値がある。ということは、ちょっと気に入らないことがあったとしても、すぐに喰われて殺される心配はそれほどないということ。

 私を取り巻く環境の一つは、本当に若干だけど改善した……と言えるのかもしれない。

 言いたいことはそこそこ言えたから、今日はこんなもんでいいかな。そろそろ目覚めそうな感じだし。私は生きるのに疲れたから、生きるのはお願いね。それじゃ、またお話ししようね。

 菊花は私が言い返したり、言い残す隙すら与えてくれなかった。いつも通り、自分ごと私をぞんざいに扱う。菊花ごと自殺しようとした私が言えたことじゃないけど……つまり、私は菊花と似ているのかもしれない。

※※※

 目が覚めると、病院にいるんだなって感じさせる天井が目の前にあった。そして、喉の少し下あたりが突き刺すように痛い。あの人のせいで私は地厚しようとしたんだから、この痛みはあの人が感じるべきとしか思えない。次は自分じゃなくて、私を傷つける世界を刺そう。なんて思うけど私は臆病だし、そんな勇気ないから、次もまた自分を刺していると思う。

「ようやくお目覚めか。変なことするなって言って、一時間もしないうちにこれだからな。君に失望したり呆れるよりも先に、なんか自分が情けなくなったよ。そんなに私たちは頼りなかったか?」

 ベッドの右隣にいる蓮は、こんなことをしでかした私に対しても、まだ優しい蓮のままでいてくれた。

「ごめ……んなさい。こんなことに……なって……

 喉と首の間辺りにボールペンを刺したせいで、声を出そうとすると激しい痛みが走って、気管に穴が開いているからなのか、空気が漏れた、うまく声が出せない。それでも、言葉を紡ぐ。

「なったことを責めても仕方ないしな。もしも君が死んでたら、自分を抑えられた気がしないから、生きててくれて本当によかったよ」

 私が自殺を図った経緯を知ったら、蓮は人を殺しかねない。蓮はそういう人だってわかっているんだから、ちゃんと気をつけないといけなかったのに。私が自殺することで、大切な蓮を人殺しにしてしまうところだった。

 自殺が悪いことだとは思わないけど、ものすごく反省している。

「それ、より……私だって、わかるん……ですか……?」

「どれだけ一緒にいると思ってるんだ。目つきとか口調で、なんとなくはわかる。日美香は飲み物を買いに行ってるんだが……なんていうか、日美香らしいな」

 こんなときでも蓮と日美香はいつも通りだからものすごく安心する。日美香が目覚め目の前にいるなんて、日美香らしくない。

「水でよかっ……って、起きてるじゃん! なんでこう、間が悪いの!?」

 こうやって、ほんの一分だけ噛み合わないのが日美香だ。

……あの、菊花と話したんです……

……はあ。そうか」

「ほんとに!? よかったじゃん!」

 いきなりのことにただただ困惑している蓮と、素直に嬉しそうにしている日美香。どっちの反応が正しいのか考えて、きっとどっちも正しいんだと思った。

 いまさら菊花が私を意識したことに対する違和感を覚えている蓮も。これでようやく四人一緒になれるかもしれないと、そういう希望を感じている日美香も。二人とも正しい。見ている世界が違うだけ。

 二人の世界の捉え方を、同時に並列して正しいと思えるように、菊花が持っている世界観も正しいと思えるようになったら、四人で一緒に幸せになれるんだろうか。

そうなれるのが、一番いいなって思うけど、菊花を私一人で説き伏せるのはムリそう。だから……頼ってばっかりでイヤだけど、二人の力を借りることになりそう。