今日は菊花の実家に宿泊する予定だったけど、それが私の思いつきでできなくなってしまったから、私たち三人……眠っている菊花を入れたら四人になるのかもしれないけど……は、駅前のビジネスホテルにいた。
「本当に……お前といると退屈しないよ」
「もしかしたら、キライな菊花といる方がマシだったかもしれませんね」」
「そりゃそうだろ。菊花でもここまで無茶なことはやらないって。まあ、菊花が力技で止めなかったってことは、あいつの望み通りなんだろうけどな」
私の存在と、四人で家族になることを許してくれそうになかった薫子さんの前で、私は大変なことをしてしまった。
話し合いはまだ終わっていないのに、途中で切り上げて、絶縁覚悟で蓮と日美香を連れて、菊花の実家を出てしまった。
ここまで無謀なことは、確かに菊花はしない。というか、できない。人目を過剰に気にしてしまう菊花には、愛する日美香と蓮に嫌われてしまうようなことは、きっとできない。
二人に見捨てられるリスクのある行動は私の担当……ということなのかもしれない。
菊花は最初、私にリスクのある行動を押し付けて、自分は安全圏にいる計画だったんだろう。そのことに死にたくなっていたけど、いまは蓮と日美香が菊花のことを理解しすぎているから、安全ではいられなくなった。
そこまでしても、菊花優位な状況に変わりないけど、彼女の存在が人の域に堕ちつつあるなって、思わなくもない。
「それで、これからどうするの?」
二つのシングルベッドが置かれたリビングで蓮と顔を見合わせていると、洗面所から日美香が顔を出した。
「どうって言ってもな……薫子さんから連絡が来てないってことは完全に呆れられたか、どうしようもないほど怒ってるからかだろうから……」
「そういうことじゃなくて、今日どうするのって話だよ。だって、まだ夕方だよ?」
いつも通り空気が読めないだけなのか、空気を読まないだけなのか。日美香とはそれなりに付き合いが長いつもりだけど、いまでもよくわからない。
確かなことは、いま考えるべきことは人生ではないということ。どれだけ考えても答えが出ないものよりも、すぐに答えが出せるものから答えていく方がきっといい。
「あのな、いくらお前でもいまはそういう時じゃないことくらい……」
「私は日美香に賛成です。菊花が生まれ育った場所がどんなところか、興味ありますし」
「お前までそんなことを……まあ、一番の当事者の二人がそうしたいって言うなら、付き合うけど」
蓮は私たちのわがままを結局聞いてくれる。一番の当事者は私たちだと蓮は言うけど、一番リスクを抱えているのは蓮なのに。本来なら、私と日美香が蓮を守らないといけなかったのに、蓮の反対を押し切って、薫子さんと半ば絶縁状態にしてしまった。
あの決断それ自体は後悔していない。本来なら後悔すべきなんだと思うけど、私はそんな良い子になれない。だけど、蓮の立場を悪くしたことは、後悔している。
「それにしても、お前から菊花に興味を持つなんて珍しいな」
「そう、かもしれないですね。どうしてでしょうね」
薫子さんに会って、菊花に同情した? まさか。薫子さんの私たちへの反応は普通。私たちの方がおかしいという自覚は、当然ある。
私たちのような、普通に生きていけない人と関わりさえしなければ、薫子さんも傷付くはなかったかもしれない。
「家族に興味を持つのは普通のことじゃない?」
「家族、ですか……」
確かに菊花と話してからの私は、菊花のことを徐々にだけど家族だと感じ始めている。でもそれは好きだからじゃなくて、菊花は日美香の婚約者で、蓮が菊花も含めた四人で付き合うと決めていたから。
大好きな二人の気持ちを守りたいと思えたから、菊花のことを家族だと思っているだけで、好意を抱いているわけじゃない。
それでも、一つ心の下で暮らしているんだから、最低限の興味くらいは持った方がいいかなと思い始めている。菊花のことを知ることで、蓮と日美香のことをもっと理解できると思うし。
「まあ、そうですね。以前よりは菊花のことを、家族だと思えている気がします。好きにはなれないままですけど」
「気にしなくて良いんじゃない? 好きだから家族なわけじゃないしさ」
日美香らしいあまりに直っ急な表現に、少し救われる。家族や近しい人を拒絶してきた人生で、そのことに自分自身で思うところがある。それを悪くないことだと言ってもらえたら、気持ちが少し軽くなる。
ただ、こうも思う。好きになれなくても家族になれるのなら、薫子さんのことを拒絶したことと矛盾してしまう。全く矛盾のない人間はいないかもしれないけど、これでいいのかなって思う部分はある。
「お前の人生だから口を出すつもりはないが、さすがにもうちょっと努力した方がいいと思ったぞ」
「……やっぱり、まずかったですか?」
「そりゃそうだろ。君がああなるのも、ああするしかなかった気持ちもわかるし、そこを否定したいわけじゃないけどさ……やり方とか、言い方とか、とにかくできたことはあるんじゃないか?」
勢い任せに私を押し倒したり、他にもいろいろやらかしたらしい蓮に、やり方を言われても……と思わなくはないけど、そういう蓮だからこそ、説得力があるように感じなくもない。
「蓮に言われると、本当にそうなんだなって思いましたし、ちょっとずつ気を付けてみます」
「”私から”は余計だろ。やなやつだな本当に」
「ケ、ケンカはダメだよー! いや、気持ちを伝え合うのは大切だと思うけど……ほら、早く行かないと日が暮れちゃうよ!」
私と蓮のやりとりを見て、日美香が目をくるくるさせている。言われてみれば確かに、このやりとりだけを見たら、険悪なように見えるかもしれない。
ある程度私と蓮のことを知っていたら、別にそういうものでないことはわかると思う。私は、私のことを菊花と同じ存在と見做されたり、存在することを否定されたら冷静でいられなくなるけど、他のことは大体気にしない。
そういう意味だけも、蓮は私の触れられたくない箇所をなぞっていない。そもそも、蓮のこれは冗談で言っているだけだってわかっている。
でも、こういうやりとりは、日美香にとっては理解が難しすぎる。
「これは言い争いじゃなくて、その……どちらかというと、いちゃついてるに近いから心配しないでください」
「そ、そうなの?」
「いや、いちゃついてはないだろ」
「どっちなの!? でも、二人が機嫌を悪くしてるんじゃないなら、それでいいかな。二人の関係は複雑すぎて、きっと私には理解できないだろうし」
日美香は、複雑だと思うことを、そのまま複雑なままにしておけるのがすごいと思う。私だったら、わからないことには何か適当に結論を出して、気持ちを落ち着かせようとする。でも日美香は、そういうことをしない。
正直、私たち四人の関係は複雑だと思う。私は記憶喪失なのか、多重人格なのかよくわからないという有様。四人で付き合ったり、結婚しようとしていることも、常識では考えられないことだと思うし。もっと言えば、私たちが三人なのか、四人なのかすらはっきりしない。というより、見る人によって答えが変わってしまう。
というか、四人だと言ってくれる人の方が少数派だ。大学の菊花の友達ではないあの人だけでなく、薫子さんにも否定された。本当なら、私たちの関係を四人だと言い張ること自体が、道理を外れている。
こんな複雑というか、厄介で面倒なことに、蓮と日美香は付き合ってくれているなって思う。でも、もしかしたら二人にとってはこういう関係の方が救われていたりするんだろうか。
意思表示をすることが苦手な蓮にとっては、無茶苦茶を押し通していく必要がある関係であれば、自分を殺さずに済む。日美香にとっては、下手に単純さと複雑さが同居しているよりも、どうしようもないくらい入り組みすぎている方が、割り切るしかないから過ごしやすい。
そんな予測を立ててみるけど、正しいかは本人じゃないからわからない。だけど、本当にそうだとしたら嬉しい。私の面倒なところが、二人の役に立てているのなら、生まれるべきではなかった私にも、生きていることを少しは許される気がするから。
※※※
菊花の実家に宿泊することを前提にしていた……わけではない。きっと全員頭のどこかで、薫子さんとの話し合いがうまくいかない可能性が過ぎっていた。だからこそ、うまくいかなかった時に、どうするかを極力考えないようにしていた。
ということで泊まる場所はおろか、食事をする場所の候補すらない。幸い、着替えは持ってきているから、菊花が生まれ育った土地で一日をやり過ごすために必要な物を揃えるのは、そこまで大変ではない。
泊まる場所はもう手に入れたから、いまは晩ご飯を探して、駅前にある百貨店の中を彷徨っていた。
「近くにあるのと全然違うね」
「主に人通りと店の数がな」
私たちが住んでいる街にある百貨店は、休日どころか平日も、エスカレーターから人が溢れそうなほどに、人がたくさんいる。
それに比べてここは、休日だというのに人がほとんどいない。目を凝らして探さないと見つからないというレベルで、閑散としている。
「最初は快適かと思いましたが、これは不安になってきますね」
「さすがに寂しいね」
寂しい。日美香の言葉通りの気持ちになってくる。振り返ってみると、駅前から菊花の実家までの道中も、数えられる程度にしか車が走っていなかった。生まれてから大学に入るまでずっと、菊花はこんなに人が少ない場所で過ごしてきたということ。
菊花はあれで寂しがり屋のような気がする。何せ、自分の内側に異なる心を創ってしまうくらいなんだから。それも仕方がないような気がしてくる。こんなに人が少ないんじゃ、誰かと関わろうにもムリがある。
気の合う誰かを探すよりも、自分の中に他人を想像する方が、確かに手っ取り早いかもっしれない。
「私はこれくらいの方が過ごしやすくていいけどな」
「なんか今日の蓮、私たちと意見が合わなくない?」
「そうか? だとしたら、普段から合ってないんじゃないか」
ことここに至って、私はようやく蓮が機嫌を悪くしていることに気付いた。蓮は私と違う視点を持っている……つまり、意見が合わないところが好きだから気付くことができなかったけど、素直な日美香がいち早く気付いた。
きっと蓮は薫子さんとのことで、自分の意見を聞いてもらえなかったことに怒っている。私が決めて、日美香が背中を押した。完全に二人で完結していて、蓮を置いてけぼりにしてしまった。
私は菊花じゃないけど、婚約者同士でめちゃくちゃしたように思われたとしても、蓮を責められない振る舞いだった。
実際、蓮が私たちを引き止める猶予すらなかったし、最後の最後で意見を出した時も、私は無視をしてしまった。
蓮の立場を不利にしないためにと考えて、薫子さんと話をすると決めたはず。なのに自分でも無自覚なままに、蓮を振り落としていた。
「……えっと、その、ちゃんと謝ってなかったですよね。薫子さんとの話し合いで、蓮の意見を聞こうとすらしなかったことについて……」
「なんだいまさら? もしかして私、そんなに不機嫌そうだったか?」
「私はあんまりわからなかったですけど、日美香には伝わってたみたいです」
日美香は妙なところで鋭い。物事の表面しか見ることができないということは、考えてもわからない物事の裏側を想像して、惑わされることがないとも言える。
それが日美香の……
「えっ、機嫌悪かったの!? 私はただ単純に、意見がいつもより合わないって思っただけなんだけど……確かに、あの時の私、蓮のことを考えてるようで、考えてなかったよね……」
前言撤回、するのはなんか違う。日美香には物事の表面しか見えていないから、些細な違いに気付くことはできる。
だけどその奥にある秘められたものが、たまたま連続して意見が合わない物事が連続しただけなのか、意見が合わないほど怒っているのかの判別ができない。
その辺りの分析は私ができるから、私と二人でいる時は基本的に問題がないというか、情報を引き出す日美香と私で役割分担ができている……はずなんだけど、私と日美香が同時に突っ走ったら、自己主張が苦手な蓮を無視することに繋がってしまった。
私が蓮ほどではないけど、自分の意見を言えない方だから、こういうことにならなかっただけで、最悪の噛み合い方をしていたような気がする。
こればっかりは本当に物凄く反省している。でも、原因が原因だけに、どう謝ればいいのかわからない。一番良いのは、蓮を無視した分、蓮の意見を採用することなのかなって思う。
だけど、いま手元にあるものだと、晩ご飯をどこで食べるかくらいしか、蓮の意見を聞けそうなことがない。夕食の決定権で埋め合わせるには、無視したことが人生に関わるものだから、いくらなんでも釣り合わなさすぎて、ひとまず言葉にすることさえ躊躇われる。
「ごめんね、蓮にとっても大切なことなのに、結局二人で決めちゃって。代わりに、今日のお店は蓮が決めて良いから!」
なんとなく悪い予感がしたときには、私が飲み込んだ言葉を、日美香がそっくりそのまま口にした。
はあ、というこれ以上ないため息が、思わず溢れてしまう。いくらなんでも、それはないだろうと思うんだけど、これが良くも悪くも日美香らしさではあるから、否定したくはないし、するつもりもないんだけど……さすがに蓮の反応が怖い。
「あのな…………拗ねてたのがバカらしくなってきたな。それで手を打つよ」
「ほんとに!? よかったー……」
日美香の口ぶりからすると、大分無謀な提案だったという自覚があったということだろうか。それとも、状況とリアクションが偶然一致しただけだろうか。
答えは誰にもわからない。他者である私や蓮にわからないのならともかく、肝心の日美香にはもっとわからないだろう。真実はどこにも存在すらしていない可能性すらある。
「……起きたことはどうしようもないが、次は、こういうことはやめてくれ」
「次は……もっとちゃんと気をつけます」
「そんなにすまなそうにしないでくれ。私が気にしすぎてる部分もあると思うしな」
「そんなことないです! それを言い出したら私がいまこうして生きていること自体が、”気にしすぎ”そのものです!」
「確かにな。それじゃ、三人の前では、存分に気にしすぎることにするよ」
「蓮はそれくらいでいいと思うよ。よくわからないけど」
「よくわかんないのかよ」
蓮が許してくれたからよかったけど、これで問題が解決したわけじゃない。むしろ問題はここから。
私たちが四人でいることは、制度だけでなく、身の回りの人たちにも否定されてしまう。そういう生き方を選ぼうとしている。気が重くないと言えば嘘になるけど、いまさら誰か一人が欠けた人生なんて考え直せない。
幸せだけど、困った。困りごとを手放したら、幸せごと手放すことになるから、不幸なだけよりも面倒かもしれない。
※※※
「それで……これはどういうことだ?」
蓮が決めたお店で晩ご飯を食べ終え、ホテルに戻った私たちは、寝る準備を整えて、ベッドの上にいた。三人同じベッドの上に。
「なんとなくこの方がしっくりくるかなって」
「私も、そう思いました」
「狭いんだよ! ダブルならまだしも、シングルなんだぞ!」
私と日美香に挟まれている蓮が、怒っているのか、困っているのか、照れているのか、よくわからない表情で声を荒げる。
「そうかもしれないけど、一人だけ仲間はずれになるのも寂しいじゃん?」
「家ではいつもそうやって寝てるだろ……」
「家ではそうかもしれないですけど、旅先で、となると少し違うというか」
「わかったわかった。私がソファーで寝るから、二人がベッド使えばいいだろ」
そう言って起きあがろうとする、全く話が通じていない蓮を、日美香と二人がかりで押さえつける。蓮や菊花と違って、日美香とはこういう時、意見が合う。
「お前らな……私の意見を聞くってさっき言ったばかりだろ」
「それは人生に関わることであって、こういうどうでもいいことは例外です」
「修学旅行の時、二人でこっそり同じ布団で寝たりしたこと覚えてる? それと同じだよ」
その言葉を聞いて、蓮と日美香にだけ、二人だけの想い出があることに何か面白くないものを感じてしまう。言ったって仕方のないことだし、心が狭いとは思う。だけど、張り合いたい気持ちが生まれてしまう。
「いまなら、三人分の体積で、四人分でお得ですよ?」
「菊花を使ってまで張り合うほどのことなのかよ……色々合って疲れたから、好きにすればいいけどな……」
前から思ってたけど、蓮、押しに弱すぎる。菊花に三人で付き合おうと提案されて、結局そうなってしまったわけだし、私のこともそう。
かわいいとは思うけど、さすがに心配になってくる。生まれたばかりの私に心配する資格があるとは思えないし、されたくもないだろうけど。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
「もう寝ちゃうの! ……おやすみー」
修学旅行気分……が、経験していない私にはわからないけど、多分そういう状態の日美香が不満そうにしているけど、瞳を閉じているのがわかる。
私もそれに合わせて、目を閉じる。真ん中に蓮がいて、ベッドの右端に日美香がいて、左隅に私がいる。
最初はすぐベッドから落ちてしまうかと心配したけど、蓮に抱きつくくらいくっついているから、そういう心配はない。
私と日美香が蓮に抱きついているから、蓮に回して両腕に、日美香の腕や体が触れている。目を閉じていても二人の存在を感じられるし、私の中には菊花がいる。
いまさらこの温もりを手放すなんて、やっぱり勿体無い。菊花が言っていた、たくさん愛した石、愛されたいっていう気持ちだけなら、理解できる。
この腕の中に蓮か日美香、どちらか一人しかいないよりも、二人いる方がずっとずっといい。それと同じように、菊花のことも、自分の中に私一人だけよりも、二人いる方がいいと思える時がくるかもしれない。