《白紙の私に無題の道を 第31話 大輪萌芽》作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

「……お前、最近変じゃないか?」

仕事を終えて、日美香が作ってくれた晩ご飯を食べていると、蓮が文脈なく。だけど、いつになく真剣に、そう語りかけてきた。

「おかしいって、私がですか? おかしいところなんてないですよっ!」

「……日美香、どう思う?」

「最近のあなたとお話ししてると、時々おかしな感じがする。あなたと話してるはずなのに、誰かが会話の輪に割り込んできてるみたい」

割り込んできている。日美香にそう表現されて、最近の自分を振り返ってみると、思い当たる節がかなりあった。

最近、蓮と日美香と一緒にいて、自分が話をしているのか。それとも翠鹿が話しているのか。その境界が段々と、それでいてどんどん、曖昧になっている。

二人に言われなきゃ自覚できない程度の軽い症状。だったらよかったんだけど、多分そうじゃないよね。

誰かに指摘されないと自覚できないくらい、翠鹿が優位になり始めている。

「そ、そんなの困りますっ! な、なんとか、なんとかしなと!」

「落ち着けって! その慌て方が、既にお前らしくないって!」

「だったら、余計になんとかしないとじゃないですか!」

ありとあらゆる私が、私ではなく翠鹿らしいと蓮に指摘されて、頭の中が際限なく散らかっていく。

メイド喫茶での振る舞い。瑠衣さんとの会話。今日の接客。そのどれにも当てはまらない自分を必死に探す。

菊花じゃなくて。翠鹿でもない場所。そこに私が在ると信じて。

「どんな私だったら、翠鹿らしくないですか!? 菊花じゃないですか!?」

蓮の両肩を掴んで、前後に揺らしてでも問いかける。どこに私がいるのか。世界で初めて私を見つけてくれた蓮なら、迷子になった私を何度でも見つけてくれると信じて。

「そんなに揺らしたら、蓮の肩が外れちゃうよ!」

蓮に縋り付くことに夢中になりすぎるあまり、日美香とは思えないほどの力で、蓮から引き剥がされる。

「やめ、やめて! 蓮が、蓮がいないと! 蓮い触れてないと、わからないから!」

それが私の脳をさらに混濁させる。私の中に私が見つからない。日美香のことは好きだけど、日美香の中に私は見つけることができない。

でも、蓮なら。蓮なら。

※※※

「はあ……」

あの子を、日美香と二人がかりでなんとかなだめ終え、私がいると逆に荒れてしまうからと、あの子を日美香に託した私は、物置で一人ため息を漏らす。

いま、あの子はリビングで日美香と二人で寝ている。あまりにも不安定なあの子のそばにいることが辛くなってしまって、考えをまとめたいからと、一晩だけ日美香にあの子を押し付けて、逃げてしまった。

いつかの菊花が、この部屋で頭を叩いて記憶を失ってからというもの、家の中で一人きりになりたい人はここに来る。そういう場所になっていた。

あの子と呼べばいいのか。翠鹿と呼べばいいのか。日に日に一人の人間として曖昧になっていく家族をそばにして、何もできない自分に嫌気が差す。

あの子が菊花にいますぐ消される心配が消えたと思ったら、あの子は菊花でもなければ、あの子でもない誰かになりかけている。

名前をつける。その行為が危険を孕んでいることは、わかっていた。あの子はあの子であって、他の誰でもない。そこに中途半端に”名前”を与えたら、名付けられた”誰か”が、あの子よりも優位に立つんじゃないか、と。

五人目を見つけてくることもイヤだったけど、あの子が壊れてしまうことをずっと心配して、それでも必要なことだと信じて、背中を押すことにした。だからこそ、もしものときの対処法を心の中で温めているつもりだったけど……無意味だった。

記憶がないという覚束なさ。地続きの人生がある私や日美香には、その苦悩が真には理解できない。できたとして、家族は所詮どこまでいっても他人でしかないから、心の問題を解決することはできない。

 

夜がだんだんと更けていくのを肌で感じるけど、答えは出ない。物置に運び込んだ布団の上で、何も結論を出せずにいると、入り口の扉がノックされた。

あの子を寝かしつけた……と表現するのは、さすがにあの子の不安定さに気を取られすぎているかもしれない。

とにかく、日美香がそこにいると期待して扉を開けると……そこには菊花がいた。

瞳の虹彩は真っ暗な物置と廊下の狭間にあっても、揺らぐことはない。それでいて、足音や扉を叩く音が、日美香にとても似ていた。こんな芸当、あの子にできるはずがない。

「唐突だな。なんで出てきた?」

「私だって一眼で見抜ぬかれるのって、何度経験しても嬉しいね。私の人格が不安定になってたから、頭を叩かなくても出てこれたのと。あとは、バイト先の瑠衣って先輩のことは、私から聞いて知ってるよね?」

菊花は相変わらずで、あの子のことを”私”と呼ぶ。あの子に自分の肉体を、なんだかんだで二ヶ月以上明け渡していた割に、物事の捉え方が何も変わっていない。

それが気に入らないけど、無秩序に変わりゆくあの子を見ているから、菊花のブレなさに、夏のような温もりを感じてしまう自分がいた。

「……私が危惧した通り、五人目を連れてくる相談か?」

「やっぱり、蓮は話が早いね。瑠衣って人、もうちょっと押せば私を好きにさせられると思うんだよね。でも、蓮が反対してるのはわかってるから、そこはちゃんと話をしておかないとなって」

菊花はいつも通り、気に入らないほど、妙なところで律儀。だけど、誠実さはない。

本当に私のことを考えているのなら、五人目を作ろうと提案してくるはずがない。そもそも、瑠衣さんと関係を築いたあの子に、その気がないにも関わらず、菊花は平然と五人目にしたいと宣っている。

私と日美香どころか、あの子に対して。つまり、菊花の認知に合わせると、自分自身に対する誠実さすらも欠けている。

「最初は、蓮と日美香の三人で付き合うためにもう一人の私を作ってみたけど、想定した通りにはいかないね」

「私には、全部お前の想定通りに進んでいるようにしか見えないけどな」

「そうでもないよ。私にはできないけど、”翠鹿”にならできることがあるって今回のことでよくわかったから、翠鹿を四人目って認めてもいいかなって、ちょっとは思えてきたし。もちろん、蓮と日美香への忖度はあるけどね」

あまりにも意外な言葉だった。こんな風に妥協をする菊花なんて、想像したことすらない。だけど、思い返してみると頭を殴ってまであの子に肉体を渡したこと自体が、そもそも菊花らしくなかった。

もっと言えば、頭を叩いて人格を入れ替えて以降は、あの子が自殺未遂をした場面を除いて、菊花はあの子の人生に介入しようとしたことはなかった。

私には変化していないように見えても、菊花は菊花で、あの子に影響を受けているようだった。

「信じられないな。お前からそんな言葉が聞けるなんて」

「そうかもね。でも、自殺しようとしたり、お母さんを拒絶したり。そんなことする勇気は私にはないよ。メイド喫茶で働くなんて発想も私にはなかったな。ここまで積み重なると、さすがに私じゃないかも、ってくらいには、認識を二人に合わせてあげてもいいかなって」

「そういう言葉が聞けたこと自体は嬉しいよ。だからって、瑠衣って人を五人目として認めるってこととは繋がらないな。日美香の気持ちもあるし、第一こんなことを繰り返してたらキリがない。お前はどこで家族の増殖を止めるつもりだ?」

五人目は認めない。相手が誰であるかとは無関係に。そう言い切ったと同時に、菊花が顔を近付けてきて、瞳を覗き込んできた。

「どうして世界中の文化で、好きな人は一人だけってルールが支配的か考えたことある?」

「四人で付き合っているんだから、あるに決まってるだろ」

「なら、蓮の考えを聞かせてほしいな」

「人数に際限がないからだ。そして、どこかで誰かの限界を迎えて、関係が破綻する。実際に、いまそうなりかけてる」

事前に考えていたことだから、ノータイムで解答できる。どうやらこの答えは、菊花の期待に添えたものらしく、満足気な表情を浮かべている。

「私もそう考えてる。無限に愛を振り撒くことも、愛されることもできない。だから、最も絆が強固になる一対一の関係が、自然と常識になった。私にしてみたら、生き物としての本能を嘘で上塗りしたようにしか思えないけどね」

妙に婉曲的な表現をする菊花の言葉を、自分なりに解釈しようとしてみる。

私が愛を求めている理由は、幸せだから。日美香のそばにいると、あの子のそばにいると、よく眠れる。四人でいる理由なんて、それ以外にないし、それ以上が必要だとも思わない。

きっと、菊花も同じことを考えている。

「愛している人のそばにいると安心する。だから、無限に愛している人を増やせば、それだけ世界が安全になる。とでも言いたいのか?」

「そっそ。家に鍵をかけたり、能力を高めて誰かに認めてもらいたくなるのも、安心したいから。だったら、愛を限定するよりも、愛し合う相手を増やしていく方が、本能に即してると私は思うんだよね」

菊花の考え方、世界の見方は、出会った頃から割と気が合う。だから、愛する相手を無限に増やしていくことが本能だという理屈は、そこそこ納得できる。

私が日美香だけでなく、あの子と菊花の四人で一緒にいることにしたのは、結局そういうこと。人間以外の種族に目を向ければ、番いの形を一対一に限る必要はない。

でも、やっぱり私が五人目を認める理由にはならない。なぜなら、私が最も安全を感じられるのが、この四人だから。これ以上は私の能力的に、親密な関係を維持し続けることができないし、よく知らない相手を家族にすることになる。

愛し、愛される関係を増やす恩恵よりも、愛を等分し続けていくデメリットの方が、これ以上は大きくなる。私の損益分岐点がこの四人なのだから、菊花の要求に従う力学が、存在しない。

「安心を担保にするなら、私は五人目以降の関係は、不安でしかない。これ以上は、よく知らない相手と愛し合うことになるし、親しくあり続けられない」

「視野が狭いね。私は空から人生を見てるつもりだよ」

そう言いながら、菊花は預言者のモノマネでもしているつもりなのか。カーテンを力一杯開き、朝焼けを背負っている。

私には、それが似合わない背伸びにしか見えなかった。

「どうして翠鹿が私のことを家族として認めてくれてるかわかる? 私が日美香の婚約者で、蓮が私のことを特別に想ってるからだよ。これって、すごい発見じゃない?」

さっきの言葉との繋がりがあるようにも思えなければ、単体でも意図がわからなかった。改めて言われなくても、あの子が菊花を四人目と認めている理由なんて、それくらいしかない。

自明すぎることを世紀の大発見のように言われても、遅れている、としか言いようがない。

「いまさらそんなこと言われなくても、日美香ですら察してるよ」

「ごめんごめん、私の表現が悪かったね。私が言いたいのは、家族の家族は、家族にせざるを得ないってこと。言い換えたら、どれだけ憎い相手でも、嫌いになりきれなくさせる性質が、家族にはあるってこと。それが発見」

「暴論だな。私がどうして家族の話をしたことがないかわかるか? 好きじゃないからだ。学費を出してもらっている立場で、って思いはするよ。この歳になってもまだ、反抗期が終わってないだけかもとかな。とにかく、家族だから嫌いにならないなんて、前提から破綻してる」

「血の繋がりを家族と定義する常識に縛られてるね。結婚っていう例外があるんだから、そんなのまやかしだってわからなくちゃ。前提が変われば、蓮が抱いている不安は、そもそも存在してないでしょ? 家族をどこまでも膨張させていけば、誰かが誰かのかけがえのない相手になる。行き着くところまで行けば、相互に安全を保障し合うんだから、不安はないよね」

私の反論に、菊花がすかさず持論を被せてくる。出会った頃は、あの子が生まれるまでは、ここまでじゃなかった。昔はもう少し菊花と対等に、舌戦を展開できた。

でも、いまとなっては、一瞬で説き伏せられてしまう。

「それで、素敵なことに気付いちゃったんだよね。私は人の好き嫌いが激しいし、世界中の誰もを魅了できるわけじゃない。でも、”翠鹿”が好きになる人、”翠鹿”だから好きになってくれる人がいるって、瑠衣さんと出会ってわかった。あの人との出会いは、私には作れなかったからね」

菊花の言葉を聞いて、最悪の、災厄が脳内で想像されていく。菊花が言いたいことが、はっきりと理解できてしまう。

人は絶対に、わかり合えない相手が存在する。私にとっての菊花が。あの子にとっての菊花が。日美香にとってのあの子が。菊花にとってのあの子が。

でも、”菊花”ならその課題を超えて、愛というこの世で最も強固な関係を、どこまでも広げていける。なぜなら、あの子を手にした”菊花”には、個体としての菊花はもういない。

菊花はあの子にもなれるし、翠鹿にもなれる。望むなら、他の誰にでもなれる。菊花でも、あの子でも、翠鹿でさえ愛し合えない相手がいたとしても、また別の誰かを内側に生み出せば、問題は解決する。

「……まさか本気で、自分が全人類の中心として、愛し、愛されるつもりか?」

「翠鹿よりも、私と脳を共有してるみたいで面白いね。やっぱり、蓮のことが一番好きだよ」

菊花が笑う。発売日を心待ちにしたおもちゃを手にしたみたいに。こじ開けた金庫の中に眠る札束を、抱き抱えているみたいに。

「三人とも、四人で生きていくことを、どうやって世界に認めさせるか考えて、壁にぶち当たってたでしょ。狭いものの見方をしてるから、壁なんだよ。全人類と、全世界と愛し合えば、常識やルールと戦う必要なんてなくなる。だって、もう全員家族なんだから」

菊花の得体の知れない魔力。常識どころか、世界の理すら自力で歪めようとしてしまうことにすら躊躇いがない、見境のない発想力。大胆でもなければ、無謀ですらない。得体の知れない思考回路。

こんなものを野放しにしていたら、私たちの関係が壊されてしまう。人類愛なんていう荒唐無稽に、大切に築き上げてきた四人という安心が、跡形もなく壊されてしまう。

ダメだ。それだけは。絶対に。

「認められるわけないだろ、そんなこと! 叶うかどうかじゃない! 自分の領土を広げようとしてきた部族も、国家も、宗教も、必ず滅びてきた! 私たち四人で、分かりきってる破滅に連れて行こうとしないでくれ……」

「この際言っちゃうけど、蓮って破滅したり、傷つくの好きだよね? 私が最初に三人で付き合おうって提案した時も、自分から不幸になる方に進んで行ったよね? 幸せを恨んでいるみたいにさ。そういうところが好きなんだけどさ」

「そんなわけないだろ。誰が好き好んで不幸になろうとす……」

「じゃ、どうして私にキスしたの? 代わりに答えてあげよっか? 私に絶対に心を許したくないから。絶対にキスなんてしたくないから、“したく“なっちゃったんだよね? 病院で翠鹿を押し倒した時も、日美香との関係が壊れるって確信してやったよね? 蓮は幸せを手にしかけたら、すぐさま手放そうとする癖があるね。いいんだよ、それで。心が醜くて、行動力がない蓮は、幸せになり続ける資格なんてないんだから」

私の言葉を遮ってでも、菊花はまるで”私”みたいに、私のことを語る。まざまざと、菊花による醜悪な自己紹介を、私は見守ることしかできなかった。

「失ってがっかりするくらいなら、最初からない方がいいもんね。でも、私は何があっても最後まで蓮の家族でいてあげる。蓮が私のこと大嫌いでも大好きだし。仮に嫌いになったとしても、記憶を失ってでも、また蓮に恋してあげる。だから、私といる間は思う存分、幸せを壊そうとしていいんだよ」

……本当に。本当に菊花のこういうところが大嫌いだ。菊花だけだ。この世で菊花だけは、私自身でさえ無自覚な醜さに、気付いて、抱きしめてくる。

あの子は、私のことを優しいと勘違いしている。日美香は私の本性に全く気付かない。我ながら、上手に隠して生きてきたと思う。

なのに、菊花はあっさりと私を見抜いて、私は一番ほしいものを、当てこするように押し付けてくる。

菊花と一緒にいたら、幸せにされてしまう。だから距離を取ろうとしているのに、ずっと付き纏ってくる。求めているようで、求めていないのに。幸せになりたいけど、幸せになんてなりたくないのに。

ほどほどに不幸でいたい。失うことに怯えず、得ることを渇望することもない。平穏のちょっと下で生きていくのが一番安心する。

菊花のような理解者と家族になって、菊花に嫌われて全てを失うくらいなら。何も気付かないままでいてくれる日美香と一緒にいる方が、怖くないからちょうどいい。

私に依存するばかりで、私から依存できないあの子となら、失ったとしても痛い思いをしなくて済む。

100点よりも40点の方が私は好みなのに、菊花は『やっぱり100点が好きなんでしょ?』と、執拗に押し付けてくる。本当に、大嫌いだ。

いまだけ殺人罪が、正当防衛、あるいは菊花が敵国兵になるとか、とにかくなんでもいいから免除されるなら、いますぐ殺してやりたいくらい、大嫌い。

菊花に好かれるくらいなら、菊花だけでなくあの子も巻き込んで殺めてしまった罪の意識を背負って生きていく方がずっといい。

「……お前のそういうところが、やっぱり本当にムリだ。私たち、別れ……」

「ほら、またそうやって不幸になろうとする。素直に聞いてくれなさそうだし、たまには私の話をしようか? 翠鹿は自分がわからないって悩んでいるけど、私もそうだよ。必死に隠してる蓮の醜さも、日美香の無自覚な有害性と自己嫌悪も。そういうところが全部わかっちゃう上に、相手が望んだ自分を演じられるくらいには器用だから、自分がよくわからないんだよね。大学を選んだ理由も、偏差値が高くて、就職先に苦労しない学部だと親が喜びそうだからって理由だし」

別れ話を切り出せば、前は少しは効果があったけど、あの子の記憶と経験を引き継いでいる菊花は、相手にしないという対処法を覚えていた。

これをされると、どうしようもない。私には、あの子のように、自分の意志で親を拒絶したり、自殺するような勇気は持てない。無謀な勇気を持てるところが、そばにいて妬ましくて、苛立っていた。私の意見が通らなかった風に装っていただけで。

「蓮と日美香が自分を嫌いなら、私は嫌いになる自分さえ、好きになる自分さえ、あんまりないんだよ。そういう自分が嫌いではあるけどさ。自分で自分が見えないなら、誰かに自分を見つけてもらうしかないよね。だから、たくさん愛が欲しいの。二人じゃ足りなくて、三人でも物足りなくて。やっぱり自分にも愛されたいから、もう一人を作ったりしたけど、手に入るなら四人より五人、六人だよね」

菊花は一体どこに向かおうとしているのだろうか。はっきりしていることは、菊花について行っても、私は幸せになれないこと。きっと日美香の幸せも、あの子の笑顔もない。

そんなことわかりきっているのに、私は菊花の手を振り解くことがなかった。菊花がさっき言われてようやく自覚したけど、私は不幸になろうとしてしまう。

なのにどうしてだろう。菊花に手を引かれることで、何かが手に入るような。そんな予感にも似た確信が、私の中にあって……

「それじゃ、行こっか。世界を私たちの愛で満たしに」

私は気付くと、菊花の異常な提案と手を繋いでいた。