《汚泥の底で煌めく一等星 前編13話 一目惚れ最前線》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

長かった授業が終わり、放課後がやってくる。
ほんの少し前までは、すぐに荷物を片付けてバイト先に向かっていたけど、もうそうする必要はない。
将来的には働く状態に持っていかないと、経済的にも、麗華れいかが好きになってくれた容姿を維持することもできなくなるんだけど、いまの私にその気力はなかった。
麗華と一緒にいられるかが気がかりすぎて、何も頭に入ってこない。それに、季節的にも、この姿のまま他の活動をする余力はない。
だから私は、容姿が崩れる可能性があるとわかっているけど、このまま家に帰ることにした。
教室を出て、階段まで続く廊下を歩きながらぼんやりと考える。麗華に告白されてからは、金曜日にこの廊下を通るときは、いつも明日のことに胸を躍らせていた。でも、今日は明日の約束がない、初めての金曜日の放課後。それがすごく寂しい。とても、寂しい。
私を人間として扱ってくれる麗華と一緒にいられる安心。恋人を上手にできない私のことを受け入れてくれる優しい麗華。麗華と一緒にいられることに安らぎを感じている自分を認めたくなくて、気持ちに蓋をしていたけど……もっと素直になっていればよかったと思う。
それで麗華が私の容姿以外を好きになってくれたとは思えない。それでも、当たり散らかすんじゃなくて、甘えていたらよかった。麗華なら受け入れてくれただろうから。
何をしても同じように許容してくれるんだったら、自分が幸せを感じられる方にしておけばよかった。

「ねえ毒島ぶすじまさん? ちょっとお話があるんだけど、倉庫まで来てくれないかな?」
靴に履き替えて校門に向かっていると、背後から声をかけられた。
声のした方を振り向くと、そこには私と同じクラスの、麗華の熱心なファンをしている三人組の女の子たちがいた。
「何か用、ですか?」
こんな醜い人間に好意を持って話しかける人間なんて、存在しない。だから、声をかけてくる相手は私に敵意を持っている。麗華以外の世界中全てが。
だから警戒を解かず、慎重に言葉を選ぶ。相手が相手だけに、もしかしたら麗華との関係を勘付かれたのかもしれない。
私がどうこうされるのは慣れているからいいけど、麗華に迷惑がかかるのはイヤだから。どんな形であれ、私に優しくしてくれた麗華は守りたい。
「ここじゃ話しにくいことなの、わかるでしょ?」
そう言って、いつも三人組のリーダー的なポジションで会話を進めている印象がある吹木さん(ふき)が、校門へと向かう人たちには見えないようスマホの画面を見せてくる。
そこには、誰がいつ撮ったのか……いや、世界の誰かが気まぐれに撮った写真に偶然写り込んでしまった、初めてのデートをしている私と麗華の姿が小さく映った写真があった。
「……わかった、私にできることならなんでもする。だから、誰にもこのことは話さないで。お願いします……」
麗華がどういう売り方をしているかは知らない。でも、トップモデルが付き合っていることがバレるのはきっとよくない。その相手が、こんな醜い人間なら尚更。
仮にこれがスキャンダルでなかったとしても、この人たちがよくわからない論理展開の果てに、麗華に嫌がらせをするようになるかもしれない。
それだけは何としてでも避けないといけない。私と付き合っているせいで麗華がイヤな思いをしたら、破局の原因になってしまう。
ただでさえ、顔のことで麗華からの信頼が地の底にあるいま、これ以上のトラブルは絶対に避けないと……

「なんであなたみたいな生物未満がっ、麗華様と二人きりで遊んでるわけっ!」
体育館のすぐ側にある倉庫に連れ込まれた私は、麗華の狂信者である三人のクラスメイトに激しい暴行を受けていた。
金曜日ということもあって、この辺りは人通りが少ないから、私がどれだけ叫んだとしても、助けが来る可能性は低い。
というか、仮に助けが来てくれたとしても、その相手が私だと知れば、世界中の誰もが暴行する側に加わる。
麗華はそうではないと信じたいけど……私が暴力に晒されている理由を知ったら、加害者側に加わりはしないまでも、見なかったことにするんじゃないかって、そう思ってしまう。
「えほっ……お願いだから、顔に傷を付けるのだけはやめて……他のところなら何でもしていいから……」
三人に寄ってたかってやりたい放題にされているのに、私の頭は妙に冷静だった。それはきっと、こういう目に遭うのが初めてじゃないから。
小学校でも、中学校でも、養護施設でも、これに近い思いは何度もしてきた。高校では初めてというだけで。
そして、いまの私には肉体的な痛みよりも、麗華に捨てられる精神的な痛みの方が遥かに痛い。だから、こんなときだというのに、いの一番に顔を庇っている。
あれからまだ一週間なのに、顔に傷をつけてしまったら、本当に今度こそ麗華に捨てられてしまうから。
「夏なのに長袖着て、頑なにヘルメットを外さないから、どんな見た目になったのかと思えば、相変わらず酷い様じゃない!」
「そんな姿でよく、麗華様の隣を歩けたわね!」
全身を三人がかりで押さえつけられ、好きなようにされるというのは、慣れているとはいえ、辛い……
絵合計六本の足で、無遠慮にお腹に肩を踏みつけられ、額を押さえつけられ、両腕と右足は骨を折るために何度も何度も踏みつけながら押さえつけられる。
「っ……本当に、顔だけはやめて、お願いします、から……」
胴体と両腕は隠せるからいい。内臓が潰れても、骨が折れても、強がっていればわからない。でも顔は、顔だけは麗華に隠せない。だから本当にやめてほしかった。
「顔、顔って、一緒にいても引き立て役にもなれないくらい醜い、その顔で言われてもね?」
「麗華様とたった一回、遊べたからって調子に乗らないでほしいよね」
学校の誰とも、一度も遊びに出かけたことのない麗華。そんな孤高の存在が、よりにもよってこんな私と一緒にいたなんて、同じクラスメイトだから余計に耐えられない。その気持ちはわかる。
そりゃ、こんな醜い人間がトップモデルの麗華と、雰囲気だけでも対等な関係を結んでいたら、そりゃ面白くないに決まっている。
私だって、こうした扱いをされて当然の側の生き物だって自覚はある。だから、殴られたり、蹴られたり、そういうことをされるのは仕方ないと納得している。
でも、でも……麗華の失望に繋がるようなことだけはされたくない。それだけは絶対に……
「ほ、本当に他のことは何でもするから……お金だってあげるからっ……顔だ……けは……」
これまでの人生で、何度も何度もやめてと懇願した。何回そうしたかなんて覚えていない。でも、顔を守ったことはただの一度もなかった。
だって、どれだけ殴られても、怪我をしても、私の顔は”醜い”から変化しない。でも、いまの私は骨よりも、内臓よりも、命よりも、顔を守ろうとしている。
「確かに特徴的な顔だけど、そんなのを好きになってくれる人、いるわけないでしょ!?」
「……そんなの私が一番よくわかってる……わかってるけど、そうじゃない人が一人だけいるの、だから……」
まさかその一人が麗華であるなんて、この三人は思ってすらいない。それが嬉しかった。いくら麗華のファンであっても、麗華の美的感覚が狂っていることまでは知らない。
私だけが知っている麗華が確かに存在する。その事実が知れただけで、殴られて、蹴られて、罵倒された甲斐があった。
そんな優越感に浸りながら、痛みと罵倒に耐え続ける。
天井に小さな窓があるだけの倉庫は、時の流れがほとんどわからず、どれだけの間こうされているのかさえわからない。
麗華と一緒にいる時間は短く感じるけど、暴行を受けている不愉快な時間はとてもとても長く感じる。
どうせ体を傷つけるなら、ヘルメットだけじゃなくて、冬服も脱がせて欲しい。そしたら、この暑さが少しはマシになるのに……

暑さと痛みで意識が溶けそうになる。小さな窓から差し込む夕日にほんの少し陰りが見え始めたと同時に、倉庫の入り口が開く音がした。
その音に私と、暴行を加えている三人組の視線が集中する。
「……麗……華……?」
顔を散々殴られて、蹴られて、視界が歪んでよくわからない。それでもわかるくらい、麗華は美しくて……
麗華が助けに来てくれた。そんな素直な気持ちにはなれなかった。見られた……その絶望の方が遥かに大きくて、深かった。
こんな情けない姿を、麗華に見られてしまった恥ずかしさ。そして、二度と傷をつけないと約束した顔に、傷がついている事実。
どれも麗華にだけは見られたくなかった。麗華だけは、私がこの世界でどう扱われているかを知らなかった。
学校にはほとんど来ていないし、住む世界が違うから、私がどんな扱いを受けているかを、身をもっては知らなかったはず。だから、麗華の前でだけは別人になれるんじゃないかって、期待していた。
でも、この姿を見たら、想像できてしまう。これまでの私の人生がどういったものだったかを。麗華の側にいる間だけは、この醜い世界のことを、醜い自分の姿を忘れられたのに、それももうできなくなってしまった。それが何よりも辛かった。
「麗華様!? ど、どうしてここに……」
三人組のリーダーの狼狽する声が聞こえた直後、私のすぐ側で金属に何かが激しく激突する音が聞こえた。それからすぐ、同い年の女の子の小さな悲鳴と衝突音が二つ連続で、小さな倉庫の中に響き渡った。
歪む視界の中、目を凝らすと、私を取り囲んでいた三人の女の子が、壁に叩きつけら、床に倒れ伏せていた。
どうしてこうなっているのかわからない。物理的な因果関係はわかる。麗華が三人を殴り飛ばし、私への暴力を止めてくれた。それはわかる。
でも、心の因果関係がわからない。一般人が人を殴るのは、よくないことだけど、これくらいなら大ごとにはならない。でも、麗華は違う。トップモデルの麗華が人を殴ったなんて、理由はどうあれ世間が許さない。
ただの高校生が人を殴るのとは訳が違う。それだけの危険を麗華が、私のために冒してくれた。ここまでしてくれた心理が全然わからない。
「麗華様、なんで……」
「CMのアクションシーン、実はあれスタント使ってないの。インタビューで言ってないから、知ってるはずないか」
麗華が出演している有名なCMがあるんだろう。でも、この場で私だけが、何のことか全くわからない。ただ、いまの言葉を聞いて三人が納得の表情を浮かべていることから、それなりにすごい映像作品になっていたんだと思う。
でも、彼女たちが知りたかったのはそういうことじゃないと思う。
私を殴っていた女の子たちは、麗華が強い理由ではなくて、どうして殴ってでも止めたのかを聞きたかったはずで、私もそれが知りたかった。
蠱惑こわく、大丈夫?」
「……えっ、ま、まぁ」
「怪我、見せて」
そう言って、麗華は半ば強引に私の怪我の様子を探り始める。この傷痕を、見られたくなかった。自分の容姿以上に。
傷ついて麗華好みの容姿でなくなった私。容姿を守ると誓ったのに、そうできなかった私。それを麗華に晒したくなかった。
「右腕とお腹。それに顔……酷い怪我。許せない……」
許せない。そんな言葉が聞こえた気がした。許せない。そんな優しい言葉が私のためにかけられたものだとは思えない。だって、私がどんな酷いことをされても、私は醜いから世界に悪いことだと認識されず、流されてしまうから。
「蟲惑の利き手って右だよね?」
「あっ、うん、そうだけど……」
「わかった。ありがとう。もう休んでていいからね」
これまでの人生で一度も感じたことがないほど優しい声色で、麗華は私にそう告げ、倒れ込んでいる三人組のリーダーである吹木さんの方へ向かう。
「あなた、利き腕は?」
「右手だけど、それがどうしたんですか……」
「右手出して」
麗華の意図が私も含めて誰も読めない。だから、吹木さんは躊躇いながら、右腕を差し出した。
次の瞬間、麗華は目の前に差し出された吹木さんの右腕を、右足で踏み砕いた。響き渡る絶叫。曲がってはいけない向きに曲がった、吹木さんの右腕。
麗華が何をしてくれたのか、言葉なんてなくても全員が理解した。彼女たちが私にしたことを、返しているんだと。数倍にして。
その証拠に、私が酷い怪我をしているのは右腕だけじゃなくて、お腹や顔も傷だらけ。だから麗華は、右腕が折れて既にボロボロの吹木さんに、容赦無く追撃を加え続けている。
どれだけ悲鳴を上げても、謝っても決して手を緩めず、腹部を蹴り続け、血を吐いてもまだやめない。顔が倍以上の大きさに腫れ上がっても、まだまだ暴力を行使し続ける。
「次。確か名前は風香だっけ」
「えっ、は、はい……」
「利き手はどっち?」
「えっと……」
ここまでされたら誰でもわかる。私は利き手の右腕の傷が特に深いから、三人分の利き手の腕をへし折る気だろう。
「左手……」
風香さんが早口にした瞬間、麗華はあまりに美しい回し蹴りを彼女の顔面に叩きこんだ。
「嘘つかないで。仕草を見たら右利きなことくらいわかる」
普通なら平手打ちくらいでわからせるだろうに、麗華は一切の容赦がなかった。
「さっさと右腕出して」
正直、どうして麗華がここまで怒ってくれているのかわからない。私がされたことの報復。そのはずなのに、肝心の私が全くついていけていない。
存在するだけで世界の価値を下げるほど醜い私が怪我をさせられたくらいで、ここまですることないんじゃないかって。そこまでする価値、私にはないのに。
でも、麗華はそうは考えていないみたいで、モデルという実力主義の世界を生き抜いてきた威圧感のみで風香と呼ばれた少女に右腕を差し出させ、踏みつける。
嘘をついた罰、ということなのか、二箇所へし折って、それから私がされた以上の暴行を風香という名の少女に加えていく。
そして、ようやく私よりはマシとはいえ、充分に見るに耐えない姿になってからようやく、風香さんは暴力から解放された。
「最後。流花だっけ?」
「は、は、は、はい……」
目の前で自分の友達へ向けて執行された、残虐極まりない私刑を目の当たりにして、流花と呼ばれた少女は恐怖のあまり、声と体を震わせていた。
「利き手、どっち?」
それに答えたらどうなるか、理解している。腕が折られて、血を吐くまで内臓を傷つけられ、腫れ上がった皮膚が目を埋めてしまうまで顔を殴られ、蹴られることになる。
しかし、黙り続けていたり、嘘をつけばさらに酷い目に遭う。本音を言えば、この三人がここまでのことをされることはないんじゃないか、とは全く思わない。
もっと酷い目に遭ってほしいとまではさすがに、そこまで思わないけど、これくらいされて当然だと思っている。これまで私はずっと、ずっと一方的に暴力を振るわれ、搾取され続けてきたから。
でも、止めなきゃいけないと思った。流花さんのためではなくて、麗華の将来のために。
「れ、麗華! その、流花さんは、実は私のこと殴らずに見てただけなの!? だから、見逃してあげてくれないかな……」
言うまでもなく、流花には散々殴られたし、蹴られたし、罵倒された。でも、一人くらい見逃しておかないと、確実に警察に駆け込まれる。
逆に言えば、一人見逃せば、ここでの出来事を無かったことにできる可能性が生まれる……かもしれない。
「蟲惑が言ってることって本当かな? 流花?」
「えっと……ち、違います……蟲惑さんが私のことを庇ってくれているだけで、本当は二人と同じことを……しました……」
誰がどう見たって私が苦しい嘘をついていることは明らかだった。だから、流花は正直に話した。そうすることが傷を最小限に抑える唯一の方法だと知っているから。
「それと、私、両方同じくらい手が使えるので、必要なら両方、折って……ください……」
ついさっきまで私に暴力を振るっていた相手だけど、素直に両手を差し出している流花さんの姿は、ついさっきまで私の暴力を振るっていた相手だというのに、ほんの少し……本当にほんの少しだけ高潔さを感じないこともなかった。
「わかった。蟲惑が許してって言うから、妥協して”見逃して”あげる。その代わり、二人が今日のことを誰にも話さないよう、一生監視して。もしも、あなたたちの誰かが、蟲惑のことを悲しませるようなことをしたら、次は限界を超えて行くから」
私と同じような印象を流花さんに抱いたからなのか、麗華は彼女を見逃すことにしてくれた。今日のことを誰にも話さないことと引き換えに。
なんとなくだけど、流花という人は、約束を守るような気がする。まぁ、その理由は高潔さからではなく、麗華が怖いから。
もし今日のことが世間に流布されたら、庇われた私が責任を感じて苦しむのは間違いない。そうなった時、麗華は本当に何をするかわからない。
救急車で運ばれてもまだ真夏に厚着を続ける私と、芸能人なのに骨折させることすら躊躇わない麗華。客観的に見たら何をするのかわからないカップルだから、いよいよとなったら、損得抜きで命さえ奪いにくる。
それほどの恐怖をこの三人は、心に刻みつけられたように見えた。

「蟲惑、平気?」
二人きりになった倉庫の中で、麗華が怪我の手当てをしてくれる。
その指先は私に、記憶にはない家族の温もりを感じさせてくれるほどに、柔らかくて、優しい。
「心配……してくれてるの?」
「そりゃね」
誰かに本気で心配されたことなんて一度もない。だから、わかる。麗華は本気で私のことを心配してくれているって。
先週までの麗華だったら、こんなこと考えられなかった。でも、いまは心の底から私を心配してくれている。
「どうして……心配してくれるの? 私、約束、守れなかったのに……」
「約束?」
「顔、もう二度と傷つけないって約束……他の人ならわからないかもしれないけど、麗華にならわかるでしょ……」
顔をどれだけ殴られたって、私の顔の本質は全く変化しない。だから、世界は私を虐げることに気負いせずに済む。でも、麗華は違いをわかってくれる。わかってしまう。
この醜い容姿を、世界でただ一人好きと言ってくれる人だから。
「怪我とか病気の治療で、体型が変わるモデルがいるけど、そういう人が努力不足だと、私は思わないよ」
麗華は残酷だ。でも、ちゃんと事情を汲み取ってくれる。
努力不足は決して許さないけど、理不尽は理不尽だとちゃんと分けて考えてくれる。それどころか、理不尽を黙って見過ごさないでいてくれた。
見過ごしたって、何の問題もなかったはずなのに。それどころか、今日のことが将来、麗華のキャリアを危うくするかもしれないのに……
誰がどう考えたって、私の人生と、麗華の人生では釣り合いが取れない。なのに、麗華は私の人生の方が大切だと思ってくれた。
それが……それが、すごく嬉しくて、幸せで……一目惚れって、本当にあるんだと思った。
麗華に告白された時、私は麗華のことを美に穢れた人間だと思っていた。麗華に別れを切り出された時、私は麗華がくれる幸せにただ依存していた。私はこれまで一度だって、純粋に麗華のことを好きだったことはなかった。
でも、もう違う。私を虐げる世界を、自分の将来を顧みずに殴り飛ばしてくれた。私のためだけに暴力を振るってくれる姿に、惚れてしまった。
これまで何度も何度も繰り返されてきた一方的な暴力を、私の代わりに暴力で捩じ伏せてくれた麗華……
「ねえ、麗華……私、麗華のことが好き」
「どうしたのいきなり」
「何って、その……告白……麗華からはしてくれたけど、私はまだだったから……」
告白をして照れている表情は一般的には可愛いとされる。でも、冷夏の瞳に反射する私の姿は変わらず醜いまま。でも、いまの私は、ちょっと可愛いんじゃないかって、そう思えてしまっている。
「まぁ、好きな人に改めて告白してもらうのは、悪い気はしないね」
自分でもおかしなことを言っている自覚はあるけど、いまの麗華は本当に嬉しそうだった。
麗華は私に表情を隠すように、顔を逸らしている。私の怪我を治療してくれる手が、恥ずかしさからか、少し震えている。
何がどういうわけか全然わからないけど、いまの麗華は私のことが本当に好きなように思えた。
先週の土曜日は、私の容姿だけが好きだったはずなのに。いまは、私のことを愛してくれている。そんな風に都合よく解釈してしまいたくなるくらいに。
この一週間、麗華への印象を変えるようなことは何一つしていないから、そんなはずないのに。
「ねえ蟲惑、これから私の家に来て。こんな学校来る価値ないから、二人で止めよう」
「れ、麗華、いきなり何言ってるの?」
「安心して。蟲惑のことは何があっても、必ず一生養う。約束するから、私以外の全部捨てて」
先週と言っていることがあまりにも違う。百八十度なんていう次元じゃなくて、もはや角度で言い表すことができないほど、根本的に違う。
でも、どうしてだろう……生まれて初めて、人の言葉を信じていいって思えてしまっている。
これまで全く信じることができなかった麗華の言葉だけど、いまの言葉は信じていいような気がした。
どれだけ美しい容姿に生まれていたとしても、こんな言葉、俄には信じられない言葉のはずなのに……
「わかった。麗華以外、全部いらない。麗華の好きなようにして」
「ありがとう。それじゃ、今日から蟲惑は私の家族ね」
家族……生まれてすぐ家族に捨てられた私の心が焦がれたもの……それが、よりにもよって麗華とだなんて……嬉しすぎて、幸せすぎて、壊れてしまうかと思った。