《汚泥の底で煌めく一等星 前編6話 美の後遺症》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

映画館を出た私たちは、何か目的があるわけでもなく、町を歩いていた。
私の右手は麗華れいかさんに掴まれたまま。それは周囲に恋人同士であることをアピールするかのように執拗で、ねちっこく、とても窮屈だった。
それでも私は麗華さんの左手を受け入れ続ける。だって私は、私の人生を切り拓くために、麗華さんの理想の恋人にならないといけないから。
「映画、面白かったね」
「そうだね」
本当は、面白いとかつまらないという以前の問題で、極めて不愉快だった。でも、そういうことを言えば印象が悪くなることくらいわかっているから、口にはしない。
ただでさえ、カフェで怒鳴ってしまったんだから、これ以上恋人指数を下げるようなことをするわけにはいかない。
麗華さんほどの美人なら思ったことを全て口にしても許されるんだろうけど、私のような人間がそんなことをしたら一発で終わり。
美人は自分が望んだように世界を生きていけるけど、醜い人間は世界に合わせて自分を変えていかないと呼吸さえ許されなくなる。
蠱惑こわくはどこか行きたいところある?」
「……行きたいところ……」
その質問に窮してしまう。念のために今日のバイトは休むと連絡しておいた。麗華さんとのデートが楽しくて仕方がなくて、別れたくないと思うかもしれないから。
でも、それは余計なことだった。生まれてからずっと、まともに人と過ごしたことのない私にとって、良い恋人を演じるのはあまりにも難易度が高くて、とても疲れてしまう。

「確かこのあと仕事があるんだよね?」
「…………うん、五時から」
「それじゃ、いつでも帰れる場所がいいよね」
あまり良い恋人を演じれているとは、自分でも思わない。それでも、気を張っていることに疲れてしまって、つい嘘をついてしまった。
「もしかして、あんまり楽しくなかった?」
「そんなことないよ」
麗華さんの口振りから察するに、私が楽しいと感じていなかったことは見抜かれているんだろう。
「次はお家デートにしよっか」
「その方が助かる」
「それじゃ、来週の土曜日、蟲惑の家に遊びにいくね」
「えっ、それは……」
「よろしくね」
美人特有の有無を言わせない、強引な予定の決め方。私の事情なんて考慮されない。でも、こういうやり方に慣れ始めている私がいる。
私だって人間だから、一方的に決められるのは好きじゃない。でも、麗華さんはあり得ないほどの美人だから、どれだけ美人という概念を憎悪していても、一緒に過ごそうとしてくれるだけで嬉しくなってしまう。そんな自分が美人よりも大嫌い。
「それじゃ、来週はお家デートだから、今日は時間までめいいっぱい外で遊ぼうね」
「うん、まぁ」
時間になるまで。その言葉に安心する自分がいる。時間が来れば、こうして気を使わなくて済むようになるから。その一方で、時間が来ることを残念に思う自分もいる。
バイトがないのに、バイトを理由にデートを切り上げようとしている自分がイヤっていうのもあるし、麗華さんと次、こうして会うことができるかもわからないから、別れるのを惜しんでいるのかもしれない。
いくら美人が憎くても、美人に見初められると生きていることを肯定されているように感じられて安心する。だからこそ、適度に距離を離しておかないといけない。
そうでなければ、醜く、誰にも必要とされていない私は瞬く間に、美の魔力に支配され、自分を見失ってしまうから。

※※※

麗華さんとのデートを終えて、家に帰ると午後の五時。いつもならバイト先のコンビニで仕事をしている時間。バイト先では人よりも多く仕事を押し付けられるから、酷く疲れる。でも、麗華さんとデートをするよりは遥かに疲れない。
映画を見終わった後、私は麗華さんと何をしたのか、あまりよく覚えていない。ファミレスで少し遅めのお昼ご飯を食べて、生まれて初めてゲームセンターに行って……
楽しかった……のかもしれない。美人と一緒にいたから楽しかったというのもあるだろけど、麗華さんは私のことを人間扱いしてくれた。
麗華さんはあんなに綺麗なのに、鏡を見られないほど醜い私の目を見て話してくれる。いや、もしかしたら、人知が及ばないほどの美人だからこそ、私のことを人間扱いしてくれるのかもしれない。
麗華さんのような百億人に一人の美人だったら、誰かに脅かされることなんてない。だからクラスに一人の美人とは違って、心にゆとりがあって、私のことも見てくれる……のかもしれない。
もしこの推測が正しいとすれば、私が恨み、妬んでいる美人は悪い人でないことになってしまう。それは……正直困る。
私がいまこうして、家族もいない、明るい未来を描けるような才能もない、限りなく詰んでいる人生を転けながらでも歩むことができるのは、美人が絶対悪として世界に君臨してくれているから。
美人を恨み、憎み、復讐することを目標にしていれば、不遇ないまをなんとかやり過ごせる。でも、麗華さんと過ごした今日一日で、私の中にあった美人像が揺らいでいる。
私が知っている美人は私から奪うばかりの、心が醜い人たちばかりだった。でも、麗華さんは違う。麗華さんは私から何も奪おうとしない。それどころか、何かを与えてくれる。
それは心が満たされているという感覚だったり、クレーンゲームで取ったデフォルメされた麗華さんのぬいぐるみだったり。
机の上に、麗華さんが取り、麗華さんが私にくれた、二頭身の麗華さんのぬいぐるみを置く。クマやペンギンがぬいぐるみになっていることは知っていたけど、美人であれば人間でもぬいぐるみになれることを今日、初めて知った。

床に寝転びながら、左手で麗華さんのぬいぐるみを持ち、右手でぬいぐるみの左手を掴む。麗華さんはぬいぐるみになってもふわふわしている。違いがあるとしたら、そこに温もりがあるかどうか。
麗華さんに右手を掴まれている時、そこには温かさがあった。麗華さんは私に、私が求めていた人の温かさをくれた。だから、つい、考えてしまう。私が麗華さんの恋人であり続けることができたら、これからもあの感覚が手に入るんだと。
たった一日。たった一日で、私が十七年かけて熟成させた美人への憎悪が、麗華さんへの好意に上書きされそうになっている。
美人に人生を奪われ続けてきたことは確かなはずのに、麗華さんがくれる時間が、過去に縛られて生きることを許してくれない。
辛い過去に縋る方がいい。そんなことわかっている……どうせ最後には、麗華さんは私以外の人と人生を歩むことになるのはわかっているから。いま、変に彼女のことを好きになって依存したら、別れる時に辛さが増すだけ。
でも、そうなるのもいいかもしれない。美人を好きになって結局捨てられたら、美人をより強く恨むことができる。
美人に救われてしまったら、過去の私は救われない。でも、美人を恨み続ければ、過去の私の辛さはより強い意味を持つ。あの可愛い子たちだけが優遇され、搾取された時間が、無意味にされるのは耐えられない。
だから、私は昨日も、今日も、明日も、美人の極地である麗華さんのことが大嫌いだ。