「い、いらっしゃい」
「お邪魔します」
晴れた土曜日の昼下がり。私ほど醜いわけじゃないけど、キレイでもないアパートの二階に、いま、世界で最も美しい高校生がいる。
「蟲惑はこういう家に住んでるんだ」
世界で一番のモデルさんの家とは違うでしょうね。そんな工夫されていない嫌味が口に出そうになるのを静止する。
家に遊びに来た恋人に向かって、そんなことを言ったら好かれるはずない。美人ならそれでも好かれるだろうけど、私のような醜い人間がそんなことをしてはいけない。醜い人間には、嫌味を言う権利なんて始めからないのだから。
「良い家でしょ」
「うん、そう思う」
麗華さんは嘘ばかりつく。いまだってそうだ。どんな家に住んでいたって、ここが良い家でないことは確か。だって、住んでる私がそう思っているんだから。
良くないものは、誰がどう見たって良くない。私の容姿のように。
「麗華が何飲むかわからなかったから、とりあえず健康に良さそうな麦茶は用意してあるけど」
「私の体型に気を遣ってくれてる?」
「まぁ、多少は」
別に麗華さんのためじゃない。モデルとして活躍する麗華さんの恋人である以上、こうした気遣いができないよりはできた方が好かれるはず。そんな打算でこうしているだけ。
冷蔵庫からいつも買っている二リットル入りのペットボトルから、二つのコップに麦茶を注ぐ。
「蟲惑が淹れてくれたやつじゃないんだ」
「私がそういうタイプに見える?」
「うーん……あんまり」
「正直なことで」
きっと同じことを私が口にしたら、すごく相手を苛立たせるんだろう。でも、麗華さんが言えば、どんな言葉も美の魔法で褒め言葉になってしまう。
「次来る時は蟲惑が淹れた麦茶を頂戴ね」
「……うん、用意しとく」
こういうとき、イヤだと、そういうことをするのは面倒だと言えない。だって私は醜いから。
こういうとき、麗華さんは相手にわがままを言える。だって麗華さんは美しいから。
醜い私は自分の時間を使って、体力と気力を使って、相手のご機嫌を取ることでしか生きる権利を得られない。
生きているだけで、生きる権利が自動的に付与される美しい麗華さんとは、生きている世界が違う。違いすぎる。だから、麗華さんにはこうして気軽に相手に何かを要求することが、どれだけの暴力であるのかがわからない。
わがままを言う権利も、断る権利もある麗華さん。でも私は、相手に何かを要求する権利もなくて、断る権利もない。生きているだけで一緒にいる人を幸せな気持ちにできる麗華さんと、生きているだけで不快感を与える私。
物事の捉え方、見え方が釣り合うはずがない。何がどう転んだって……
「蟲惑もあの雑誌、買ってくれたんだ」
麗華さんの振る舞いに心を闇に染めていると、部屋の中を見回している麗華さんが、部屋の隅に麗華さんのぬいぐるみと一緒に立てて置かれている、麗華さんが表紙の雑誌を見つけた。
私はあの雑誌の存在を忘れていて、やってしまったと思った。そんな風に思わなければならない理由なんてないはずなのに。
「……まぁ、ね」
「どうして買ってくれたの? オシャレに興味があるタイプじゃないよね?」
本当のことを答えるか悩む。だって、あの雑誌を買った時は、麗華さんと恋人ごっこをすることになるなんて考えてもいなかったから。
でも、勘の鋭い麗華さんの追求を誤魔化せるほど上手な嘘も思いつかない。
「……インテリア、としてかな」
「インテリア?」
「そう。麗華さんが部屋にいたら、キレイになるかと思って」
本当のことを言えば気持ち悪いと思われるだろう。でも、理想の恋人像はあまりにも私とかけ離れすぎていて、嘘をつき続けることに少し疲れてしまって……ほんの少しだけ、本当を言いたくなった。
「インテリアだから封が開いてないの?」
「別に…‥ただ単に面倒だっただけ」
「せっかく買ったのにもったいないなー」
そう、あんな物を買ってしまったのは、本当にもったいないお金の使い方だった。いや、もったいない未満だ。絶対にしてはいけないお金の使い方だった。
だって、あの雑誌に書かれている内容なんて見なくたってわかる。どうせ美に関することしか書かれていないに決まっている。
どうすればいまよりも美しくなれるか。どうすれば人を惹きつけることができるか。
あの雑誌を必要としている人は、綺麗になりたい人だろう。だったら、あの本を否定しなければいけない。だってあの雑誌を手に取る人は、醜いか、最低でも美醜の狭間にいる人なんだから。
私のような人間がすべきことは、どうせ手に入らない美に媚びへつらい、仲間に入れてもらおうとすることじゃない。
美の存在を否定すること。美に本当は価値なんてないと叫ぶこと。そうすることでしか、私のような醜い人間は救われない。
本能に根付いた美の価値を否定することが不可能だとしても、そうすることでしか未来永劫醜い私は救われることはないから。
「でも、嬉しい」
「……なに? 嬉しいって?」
「学校の子に限った話じゃないけど、あの雑誌を買ってくれた人はみんな、中を見るんだよね。私のインタビュー記事だけじゃなくて、他のモデルさんが身に付けてる服とか見て、流行を追いかけるために」
「それって普通のことじゃない?」
「うん。だから、蟲惑の読み方が嬉しい。私だけを求めて、インテリアにしてくれてる人なんて、きっと世界に一人だけだよ。まぁ、インテリアにしては、ちょっと置く場所が雑だけどね」
なんて……なんてわがままな人なんだろうと思う。私のような誰にも求められることがない人間がいる一方で……いまよりほんの少しだけ、生き物に近付きたくて足掻いている人間がいる一方で……
こんなに世界に認められて、羽ばたいている人間が、まだ満ち足りていないと口にするなんて。それも、私のような何も持っていない人間の目の前で。
「……そういうのって、わがまま、じゃないかな……」
こんな気持ちを吐露してはいけないと頭ではわかっている。でも、麗華さんの傲慢な態度に対する嫌悪の洪水を、止めることはできそうになかった。
「わがままって?」
「自分だけ見てほしいってことでしょ? 麗華さんはもう充分、麗華さんだけ見てもらってる……」
「蟲惑にはそう見える?」
「そりゃそうでしょ! いくら美人だからって、なんでも思い通りになるって思わないで! っ……」
言葉にしてから後悔する。こんな経験、初めてだった。だって、私の話を聞いてくれる人なんて、これまで一人もいなかったから。
いくら美人を恨んでいるからって、こんな言い方……それも理不尽な八つ当たりをする必要はなかった。
先週デートをした時もそうだけど、麗華さんの前だと、感情が抑えられなくなる。
麗華さんの表情を見る勇気はない。でも、いい顔をしていないことくらいはわかる。恋人からこんなことを言われたら。ましてや、こんな醜い人間に。
だからって悪いことをしたとは、どうしても思えなかった。だって、麗華さんはその美貌で、散々良い思いをしてきたんだから、少しくらいその容姿を罵倒されることがあっていい……と、思う。
「まぁ、そう思う人もいるよね」
悪いことをしたわけじゃない。そのはずなのに、胸のどこかが少し痛い。
麗華さんは私のことを見てくれる。ちゃんと人間扱いしてくれる。だから、美人相手なのにこんな気持ちになってしまうのかな……