《汚泥の底で煌めく一等星 後編1話 失望への片道切符》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

一人きりで住んでいるタワーマンションのリビングで、明日発売の雑誌を手に取りながら思う。こんなことを続けて、私の願いは叶うのだろうかと。
この雑誌の表紙を飾ることは、確かに私の目標だった。
世界で最も有名で、権威のある海外のファッション誌。その表紙に選ばれるということがどういう意味を持つか、モデルである私が誰よりもわかっている。
だからこそ、強く実感する。モデルとしての頂点に到達してなお、心に空いた穴が全く満たされていないことに。

私がモデルを志した理由は、いまも昔も変わらない。誰かの心に残りたい。ただそれだけ。
私の両親は仕事でいつも忙しくて、世界中を飛び回っていた。そのせいで、お母さんたちの顔すらほとんど覚えてない。
幼い私を育てていたのは、親がお金で雇った私に愛情を感じていない人。親とは手紙やメールでのやりとりさえなく、学校や生活に関する事務的な連絡をすれば、最低限の返事が帰ってくるだけ。
そうした生育環境が、私の心に強い影響を与えたのは間違いない。
本来あるべきはずの親からの愛情の欠如。その寂しさを他の何かで埋めようとした結果が、モデルという仕事だった。
世界で最も私のことを大切に想ってくれるはずの親が私に無関心だから、親代わりがほしかった。有名になれば、私のことを我が子と同じか、それ以上に強く強く求めてくれる相手が見つかるんじゃないか。幼いながらに美人である自覚があった私は、そう期待してモデルの仕事を始めた。
でも、現実は夢想した通りにはならなかった。どれだけ有名になっても、人気を得ても、私のことだけを考えてくれる人はいない。親が埋めてくれるはずだった心の空間を埋めてくれる人が現れることはなかった。
私が所属している事務所で最も稼いでいるのも、人気があるのも私。公式サイトを開いて真っ先に飛び込んでくるのも私の姿。事務所の看板は間違いなく私。だから、所属しているのは私だけでもいいはずなのに、事務所には他のモデルや女優がたくさんいて、どうすれば彼女たちはもっと人気が出るかを考えている。
私が小学生の頃からマネージャーをしてくれている人だって、大して変わらない。私のために仕事を取って、スケジュールを管理してくれてはいる。でも、同じ手と口を使って、他の女性や女の子の担当もしている。
事務所も、マネージャーも、私は特別だと言ってはくれるし、それに相応しい扱いを受けてはいる。ギャラの取り分が、他の子と比べても数パーセント高かったり。事務所内のコラボであれば、私のスケジュールを最優先してもらえたり。
でも、私は最も特別な一人であって、たった一人の特別じゃない。
私が生きているモデルの世界では、私の存在はとても仲の良い親友くらいの重要度でしかなく、所詮は変えの効かない我が子のような存在として私のことを見てくれる人はいなかった。
ファンの子だって私へ向けてくれる好意の本質は、そうした人たちと変わらない。私の雑誌を買ったと多くの人が言ってはくれるけど、どうせ他のアイドルやモデルを目当てに他の雑誌を買うこともあるし、音楽も聴くしライブにだって行く。SNSのフォローだって、私だけではなくて、他の芸能人のアカウントを何十、何百とチェックする。
熱心にファンレターをくれる子だってそれは変わらなかった。私一人だけを推しているわけじゃない。私が一番って人はいても、私だけはいない。
事務所も、ファンも、モデル業界でさえそう。いまは私が世界一の美少女だと持て囃してくれるけど、一年もすればまた新しい百年に一度の美少女という偶像が祭り上げられる。私の代わりとして。
私は何者かにはなれた。だけど、誰かのただ一人になることはできなかった。普通は、誰もが親にとってのただ一人にはなれているのに。
だから、私はずっと満たされていない。どれだけ権威のある賞を貰っても。どれだけ歴史のある雑誌の表紙を飾っても。

まるで光り輝いているようと世界を錯覚させるほどに、煌びやかな東雲麗華が表紙を飾る雑誌をテーブルの上に放り捨てて、自分らしくないと思いながら天井を眺める。
さすがに何となく察し始めている。私を我が子以上に心に刻んでくれる相手は、このままモデル活動を何十年と続けても見つけられないってことに。
だから一年半前の私は、通信制高校や夜間学校のような、芸能活動と高校生を両立できる手段を選ばずに、普通の高校を選んだ。
芸能活動と釣り合う高校生活では、高校内での人との繋がりがどうしても希薄になる。それを私は嫌った。
モデルの世界で、そしてモデルとしての生き方で私だけを心に刻んでくれる人を見つけられないのなら、別のやり方に切り替えるしかない。
大量の人間を、世界中を一度に選別するような効率的なやり方ではなくて、一人一人をちゃんと見つめて、私を心に刻んでくれるような人かを見極めるようなやり方に。
そう考えた時に、普通の学校生活は便利。特に、同じ教室で、同じクラスメイトと時間を共有する高校生という身分は。
「ま、期待なんてしてないけど」
独り言。あるいは世界そのものへの批判が口から漏れる。私はいま世界で最も有名なモデルの一人になった。テレビにだって出ている。海外の番組にだって。
なのに、お母さんたちは連絡をくれない。たった一言、メールや電話で、あなたを誇りに思うとか、テレビ見たよとか、たったそれだけのことで私は救われるのに……だから、この世界に期待なんてしていない。

明日私は、私を心に刻んでくれる人を見つけるために、久しぶりに学校に行く。でも、それは私に世界でたった一つの特別な愛をくれる相手を見つけるためじゃない。
私を愛してくれる人なんていない。その事実を心が納得できるようになるために。期待して、裏切られて、傷つく。その不毛な輪廻を終わらせたいから。
そのための下準備はしている。この子なら少しは期待できるかなって子が一人、同じクラスにいる。言うまでもなく、本気で期待してるわけじゃない。
親の代わりになってくれる人は、この世界のどこにも存在しないことはわかっている。それでも、兆が一くらいの確率でなら、あり得るかもしれない。
その可能性を期待してしまうことが苦痛の根源。だから、この子なら絶対に私に依存して、私だけを考えてくれる。それくらい不遇な子が、私のことを我が子のように愛してくれなかったら、完全に失望できる。この世界に愛なんてないんだと。私にはそもそも、誰かに愛される可能性なんてなかったんだと。
その子の名前は覚えている。
毒島蠱惑ぶすじまこわくちゃん、ね」

※※※

毒島蟲惑。その子がどういった人物なのか。それはクラスだけじゃなく、学校である程度有名だった。それは正視に耐えない醜い容姿と、その容姿に釣り合う経歴によって。
幼い頃に両親に捨てられ、孤児院で育ち、高校生になってからはバイトをして生活費を稼ぎながら一人暮らしをしている。
その境遇が、少し自分と重なって親近感があった。でも、それ以上に私が蟲惑ちゃんに興味を持った理由は、彼女が世界に好かれていないということ。
私とは正反対よりも対極な醜い容姿。私と違って毎日真面目に学校に通い、授業を受け、コンビニのアルバイトなんていう替えの効く仕事を嫌がらせを受けながらでも続ける真面目な性格なのに、誰にも好かれていない。
私と蟲惑ちゃんの間に本質的な違いは違いは、きっとほとんどない。むしろ、美で社会的地位だけは手にできた私よりも、蟲惑ちゃんの方が人間としてはまともで、真面目で報われるべき可能性すらある。
でも、世界は私と蟲惑ちゃんの人生を真逆のベクトルへと加速させる。私がすることは全て世界に好意的に解釈され、蟲惑ちゃんがすることは全て穢れとして世界に変換される。
それが何によって生じているかが私にはわからない。性格? 性格なら私だって歪んでいる。蟲惑ちゃんのように表情や人相に反映されないだけ。美が悪感情を覆い隠してくれているだけ。
かといって、容姿が理由だとも思えない。私は世界で圧倒的に美人。でも、ネットに広がる闇の浅瀬でさえ、私はサンドバックにされている。彼女たちにとっては、蟲惑ちゃんのような容姿の方が好みなんだろう。
まぁ、そういうことはどうだってよくて、私は彼女に期待している。世界に愛されず、世界に見捨てられた空っぽの蟲惑ちゃん。蟲惑ちゃんの伽藍堂の心なら、私を満たすのに充分な愛で、その心を埋めてくれるのではないかと……なんて期待、もちろん、あるわけない。
私はの心は親の不在で歪みきっている。私はただ単に諦めたいだけ。諦めるに足る根拠を、蟲惑ちゃんがくれることのみを期待している。
この世で最も醜く、私を含めた誰にも好かれていない不幸で、空虚な蟲惑ちゃん。そんな彼女に理由もなく手を差し伸べる絶世の美女。
醜く飾り立てた、気持ちの悪い妄想よりも気持ち悪い物語をプレゼントしてあげたのに、私だけを考えてくれなかったら、ようやくこの世界に抱いている紙よりも薄い希望を捨てられる。
「ああ、やっぱり私は、誰にも愛されないのは必然だったのね」って。