《汚泥の底で煌めく一等星 後編2話 思わぬ収穫》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

東雲麗華しののめれいかから連想される雰囲気からは隔絶した、普通の高校にある普通の教室。ここにいる間も、カメラの前に立っている瞬間も、表彰台に立っている時間さえ、私にとっては同じだった。
私はただ、求められた東雲麗華を与えるだけ。雑誌を買ったと言ってくれるクラスメイトに対しても、私をより美しく撮ろうとするカメラマンに対してもそれは同じ。
そうしている自分に対して、自分を偽っているとか、そういうことさえ思わない。だって、私はこの人たちに何も期待していないから。
「麗華さんが載っている雑誌は全部持ってるんです!」
「そうなんだ。ありがとう」
確か流花という名前のクラスメイトに心がこもっていないことを感じさせないよう明るく相槌を返しながら、私は全く別のことを考えていた。
このクラスで……いや、この世界の中で唯一、東雲麗華に興味関心を抱いていない女の子に。
窓際の席に座ったまま、まるであの空間だけ時間が凍結してしまったように動かない毒島蟲惑ぶすじまこわくちゃん。
普通、同じ教室に世界レベルの有名人がいたら、一度くらいは興味本位で話しかける。そうでなくても、視線で追うくらいのことはする。
なのに、蟲惑ちゃんはそういうことを一切しない。あのある種特徴的な容姿の蟲惑ちゃんに、これまでたったの一度でも話しかけられていたら、容姿で仕事をしている私が忘れるはずない。
そこまで徹底的に私という輝きを無視できる心に、どこか惹かれるものを感じている。
私を取り囲んでいる人間ではダメ。この人たちが私を持て囃しているのは、私が一番だからじゃない。ただ単に、私が最も身近にいる有名人だから。ただそれだけ。
もちろん、この中に「東雲麗華が一番好きな有名人」という人もいるだろうけど、それは順位がつく一番。そんなのいらない。
親にとって、自分の子どもに順位はない。親は自分の子どもが何千もの命を奪おうと、どれだけわがままで醜くとも、一番なのだ。本来は。
私はそういう一番がほしい。こんな人たちがくれる、失言の一つや、通行人を殴った程度の不祥事で蹴落とされてしまう一番なんて、いくらあっても満たされるわけがない。
私が出会ってきた中で、その可能性が最も高いのが蟲惑ちゃん。世界で最高の美貌に目もくれず、世界が東雲麗華に雪崩れ込もうと、自分の心と心中することのできる盲目さ。
あれはもしかしたら、親が我が子に向けるそれに近い何かじゃないかと期待している。まぁ……あれがそんな美しくもなければ、強いものでないこともわかっている。

蟲惑ちゃんのあの振る舞いは、世界への敵意。私への無関心が何に起因しているかくらい、美人として生きてきた私にはちゃんとわかる。
だから、私は彼女に本質的には何も期待していない。私はただ、彼女なら諦めさせてくれるんじゃないかと期待しているだけ。
親に捨てられ、世界に捨てられ、空っぽの蟲惑ちゃんに私を愛させ、それでもなお私を捨ててしまうんだと。
その生温かな実感さえあれば、私はこの世界のことを、希望が底に残っている箱庭ではなく、無味乾燥な灰色の世界だと割り切って生きていけるようになるから。

※※※

私を追いかけ回すファンを撒くことなんて、大したことではない。もう慣れている。
学校の中では東雲麗華でいてあげるけど、放課後までそれを続ける気はない。今日、私が学校に来た理由はただ一つ。蟲惑ちゃんと接点を持つこと。それも、私たち二人だけの秘密の関係を。
あんなにも醜い女の子が、私みたいな美人と特別な関係を持てたら、必ず依存する。
蟲惑ちゃんの性格と行動は、この高校に入ってからの一年半のクラスメイトからの聞き込みでおおよそ把握している。
毎日自宅近くのコンビニでアルバイトをしていることも。そのための近道として、この路地裏をたまに使っていることも。
学校とコンビニを結ぶ中間地点辺りで、どうせ暇だからスマホを使ってSNSの更新をしつつ、蟲惑ちゃんの到着を待つ。
蟲惑ちゃんがここを通る条件を整えて誘導はしたけど、彼女が絶対にここを通るとは限らない。それに関しては仕方ない。私ほどの有名人が自然に二人きりを作ろうとしたら、どうしてもギャンブルになってしまう。
ダメだったら再チャレンジすればいいだけだし、その気がIFの未来で起きなければ、その程度の熱意だったというだけの話。
正直、この行為にあまり乗り気ではないし。確かに、蟲惑ちゃんの振る舞いは、凡百の人間よりは好ましいけど、所詮はそのレベル。
彼女が私に抱いている敵意なんて、私が待ち伏せをして、適当に愛の告白をすれば吹き飛ぶ程度のものでしかない。だから、この告白だって消化試合でしかないし、その後の関係も私の心を満たすものでないこともわかりきっている。
それでも、こんなメチャクチャをしたい程度には追い詰められている。さすがに、国際的な賞を獲ったり、ファッション雑誌の表紙を飾れば、お母さんたちから連絡があるんじゃないかと、まだ心のどこかで期待していたから。

連絡がなかったことに、自覚している以上に傷付いてる私がいて……自分で自分が情けなくなる。
そんなことを思っていると、遠くからこちらに近付いてくる足音が聞こえてくる。何かから逃げるような足音。私のファンが作り出す混沌から逃避するような。
蟲惑ちゃんへの告白をどうするかは決まっている。理由なんていらない。ある方が無理がある。だって、私と蟲惑ちゃんは他人なんだから。
だから、蟲惑ちゃんが絶対にないと思っている容姿を使う。それが一番意外で、でも納得せざるを得ない理由でもあるから。

「ここで待ってたら、二人きりになれると思ってたよ。蟲惑ちゃん」
これから嘘をつくことが確定している一連の流れの中で、数少ない本当を言葉にする。
私の姿を見て、蟲惑ちゃんが停止する。その姿は、どう好意的に解釈しても、醜い。
「麗華……さん?」
ようやく発せられた言葉からは、困惑と疑いが溢れ出していた。彼女の心は読めないけど、想像はつく。東雲麗華がわざわざ待ち伏せしていた理由を探して、思考の迷路を這いずり回って、それでも見つからない困惑。
私がクラスで一番の美人くらいなら、罰ゲームや嫌がらせかもしれない。でも、私ほどの美人がそんなことをするわけないと、あなたは考えている。
もしこの予想通りの読みをしているなら、あなたはクラスの誰よりも美人の生態を理解している。
真の美人は、そういうくだらない争いから降りることができる。それが美しいということ。親から一切の愛情を受け取れない幼少期を過ごしても、美人であれば社会的にはまともどころか、勝者として生きられる。

醜いあなたと違って。
「名前、覚えててくれたんだ。席に座ったまま石みたいに動かないから、私のこと知らないかと思ってた」
「な、なんで私のこと……」
「えっ、いきなりそれ聞くの!? 恥ずかしいな……」
人心の扱い方くらい心得ている。同年代の女の子、それも醜い容姿をした社会的に恵まれていない女の子の心なんて、こうしていれば簡単に手に入る。
自分にだけ向けられている、美人からの頬の熱。恥じらい。戸惑い。仮にそれが偽物だと看破できたとして、破り捨てることなんてできやしない。
それは経験則ではない。自然の摂理。あらゆる物体が重力を持つように。死んだ生物が生き返らないように。美が持つ魔力に抗えるように、生物はデザインされていない。そうでなければ、容姿に差異が生まれた進化は無意味だったことになってしまうから。
「そうですか。私、これからバイトあるんで」

目の前にいた蟲惑ちゃんが、私の後方に広がる暗闇に消えようとして、ようやく何が起きたか理解した。
私がこれから何を言おうとしているのかわからないほど、蟲惑ちゃんは愚かじゃない。周囲の人間は彼女のことを軽んじているけど、学校の試験ではなんだかんだで中の上から、上の下くらいの成績を維持している。
だから、蟲惑ちゃんは私がこれから告白するとわかっていて、それを蹴ったのだ。
蠱惑ちゃんの学校での歩き方と比べると、いまは歩幅が短い。モデルとして歩き方を研究している私には、それが躊躇いや後悔により生じているものだとわかる。
美に惹き寄せられる本能への抗い。普通、人はそれに敗北する。でも、蟲惑ちゃんは東雲麗華、あるいは美人全体への恨みを頼りにして打ち勝ち、東雲麗華からの告白を路傍の石へと突き落とした。
私は、目の前の人間に相手にされなくて喜ぶような人間ではない。むしろ嫌悪してさえいる。それでも、身の回りに溢れ返っている無害なだけで、あってもなくても変わらない窒素のような好意よりは、遥かに好ましかった。
だって、この無関心が反転すれば、私が望むものに指先がかかることくらいならあるかもしれないから。
世界に失望し切るためには、理想につま先が触れてくれるくらいはしてくれないと足りない。だから、この蟲惑ちゃんの反応は、理想以上ですらあった。
「待って! わかった! 一目惚れしたの! 私と付き合って!」
とはいえ、このまま立ち去られたら、どうにもならない。私と蟲惑ちゃんの間を結ぶ線がなければ、関係は生じ得ない。関係なくして、愛はない。たとえそれが偽物の愛だとしても、永遠の愛でないとしても。
だから、それなりに本気で引き止めようと頭を回す。
親と子という関係があるから、そこには愛が生じる。愛とはすなわち関係性。だから、私が求める親からの愛には遥かに遥かに劣るとしても、恋人という関係は構築しておきたい。
互いにその気がなかったとしても、互いの了承のもと、恋人という関係が存続しているという事実が大切。中身の詰まっていない特別な関係だとしても、続けてさえいればそこに愛着を持つ。人間とはそういうものだから。蟲惑ちゃんも、おそらく私でさえ例外ではない。
だって幼い私は、私のことを視界の端に求めないお母さんたちを、愛していたのだから。
「……そ、それは、どういう意味、ですか……」
「どういうって、告白に決まってるでしょ」
芸能記者の質問よりもわかりきった質問に、気の抜けた答えしか返せない。そして、こんな答えでは蟲惑ちゃんの心を恋人という関係に引き止められないことも、薄々察している。
だから、説得力のある理由が必要。それを考える。
「もしかして、罰ゲームか何かだと思ってる?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「それじゃ、どうやったら信じてくれる?」
「…………一目惚れした理由を教えて。そしたら、付き合ってもいい……」
あくまで自分が主導権を持っている。そうした態度を蟲惑ちゃんは崩そうとしない。それは間違っているんだけど、正しくもある。
告白はその性質上、する側が必ず主導権を相手に明け渡すことになる。一目惚れという体裁を取っている都合上、この告白に私の主導権は最初からない。
告白された側が、付き合うか、付き合わないかを決められる。その単純明快な力関係には、美の力が入り込む余地はなかった。
もちろん、並みの人間であれば、美人に告白されたら断れないんだけど、あなたは違うんでしょう?
「怒らないで聞いてほしんだけど、美人とか、愛嬌のある醜さって見飽きちゃったの。綺麗とか、顔立ちが整ってないけど愛される感じとか、答えが決まりきってて見飽きちゃった。それに、職業柄人の容姿を気にしちゃうから、蟲惑ちゃんに一目惚れした」
「なんで会ったばっかりの麗華さんにそんな言い方されないと……」
「好みなの、あなたの顔が。あなたの身体が。私のいる世界じゃ絶対に出会えない容姿のあなたが。自分と比較せずに済む蟲惑ちゃんが」
いま書き上げた台本だけど、押し切れた。その確信があった。さっきまで私への無関心が上回っていた蟲惑ちゃんの表情が、明確に躊躇いへと変化したから。
ここまで来れば、後はどうとでもなる。だって、蟲惑ちゃんの心は美に足元をすくわれてしまったから。
「わ……私はあなたのこときら……」
告白の答えを、抱きしめ、額をくっつけることでかき消す。蟲惑ちゃんが断ろうとそんなこと関係ない。
どうやら私の予想以上に、蠱惑ちゃんの決意は固い。いまの蟲惑ちゃんに答えを聞いたら、この告白に勝算はない。でも、未来の蟲惑ちゃんは違う。美人に告白されたという事実に、抗いきれない。
美は毒だ。瞬間的に理性を溶かす即効性の。それでいて、少しずつ理性を本能へと焼き焦がす遅効性の毒でもある。
私はただ、”いまこの瞬間”の答えを有耶無耶にして、時間を開けてから、再度答えを聞けばいい。それでとりあえず、形だけの特別な関係は手に入る。
いくら蠱惑ちゃんの心が強靭でも、心に限界がある。もし次の返事もまた断るようなら、また告白するだけのこと。
無限に告白し続ければ、必ず美は理性の仮面を引き剥がし、本能を剥き出しにさせられる。それが世界の理。
「返事は次会った時でいいから。私は今日一日しっかり考えて告白したのに、蟲惑ちゃんにはすぐ答えを出してなんて、フェアじゃないから」
「わ、私は麗華さんと付き合うつもりは……」
私は蟲惑ちゃんに聞く耳を持たず、とにかく電話番号が書かれたメモ帳の切れ端を押し付け、その場を離れる。
自分でも、どうしてここまで蟲惑ちゃんを無理矢理引き止めたのか。その疑問を残しながら。