デートの定番である映画を見終えた私たちは、当てもなく街を彷徨っていた。
見るからに私とのデートで疲弊している蟲惑ちゃんを連れて歩くのは、とても複雑な気分だった。
私と一緒にいることで疲れる人は少なくない。美人だからとか、有名人だからだとか、そういう理由で勝手に舞い上がって疲れ果てる。私はどこにでもいる、ただの人間でしかないのに。
つまり、そういう人たちは私のことなんて見ていない。テレビや雑誌、インターネットに存在している東雲麗華を見ているだけ。
でも、蟲惑ちゃんの疲労はそういうのとは違う。良くも悪くも、この子は私を東雲麗華として見ない。東雲麗華という偶像を引き継いでいる、ただの高校生の女の子として、私のことが大嫌い。
蟲惑ちゃんが疲れているのは、ただ単に外にいたり、人と一緒にいることが苦手なだけ。
「蟲惑、疲れてない?」
「別に、平気」
そう言って、私に右手を掴まれている蟲惑ちゃんの両足はいまにも、もつれそうになっている。
「この後バイトもあるんでしょ?」
「だから、疲れてないって!」
心配してあげればあげるほど、蟲惑ちゃんは逆上する。さっきからずっとこう。だからって、私が何かを感じることはない。だって、本心から蟲惑ちゃんを心配しているわけじゃないから。
私は「疲れてない?」と聞くことが優しさだと知っていて、ただその常識をなぞっているだけ。そんな皮だけの優しさをどう扱われたって、心に波風が立つはずもない。
「はいはい。そこにゲームセンターがあるし、あそこなら座れるんじゃないかな」
「だから! 疲れてないって! そうやって、優しいふりしないで!」
掴んだ蟲惑ちゃんの手を引いて、目の前にあったゲームセンターに連れ込む。騒がしい店内の中で座れる場所を探しながら、さっきの蟲惑ちゃんの言葉が頭の中で乱反射する。
誰もが、優しさは無から生み出せるように語るけど、私にはどうしてもそうは思えない。優しさはきっと、生み出す物ではなくて分け与えるもの。その原材料は、きっと親からの愛。
あらゆる生き物が、共通して無条件で最初から信じているもの。それが親からの愛。
そうした愛の原料がない私が何をしたって、それは愛の贋作にしかなり得ない。どうすれば自分の行為が本当の優しさになるのか、私にはどうしてもわからない。
「恋人同士なんだから、無理しなくていいのに」
「……そうやって、私みたいな恵まれない人に優しいふりをするのは……やっぱり、楽しいわけ……?」
クレーンゲームの目の前にあるソファーに息を切らしながら座り込んだ蟲惑ちゃんが、毒を投げてくる。
それは私の心に刺さるようで、刺さらない。自分でもどうしてこんなことをしているのか、説明ができない部分が多くて、何を言われてもピンとこないから。
「ふりじゃないし、楽しいからじゃなくて蟲惑が恋人だからだよ」
「……そう……美人はそんな見えすいた嘘でも人を騙せるみたいで、羨ましい……」
最初は私に好かれようとしていたのか、恋人”らしい”振る舞いをしていた蟲惑ちゃんだけど、演技に疲れてさっきから本音が隠せなくなっている。
でも、蟲惑ちゃんが言っていることは的を得ている。私はこれまでの人生でただの一度だって、本当の優しさを振るったことはない。
周りはそれで騙される人か、私の美貌と能力で得をしようとする人のどちらかしかいない。正確には、私のことなんてどうでもいいという人も少しはいるけど。
蟲惑ちゃんの隣に座って、今日の自分の振る舞いを振り返る。きっと私は、好きでない人だとしても、恋人として教科書通りに扱っていれば、優しさとか愛の正体が掴めるんじゃないかと期待していたんだと思う。
親からの贈り物が何一つない私には、無から好意を創造するしかない。だから、最初は演技から始めようと無意識に考えたんだろう。
でも、やっぱりうまくはいかなかった。恋人のことを呼び捨てにしてみたり、手を掴んでみたり、気配りをしてみたり。そういうことをすれば自分の中で何かが変わるかと思ったけど、そんな甘い話はなかった。
蟲惑ちゃんを呼び捨てにしたくらいで親しみを感じられることもなかったし、手を掴んでも心が通う実感はなかったし、気配りをしても心が満たされることはなかった。
「蟲惑は私のこと好き?」
急に途方もない虚無感が飛来して、それを誤魔化すように私らしくない言葉が脈絡なく漏れてしまう。
「……好きだと思う?」
「……好きになってほしいとは思ってるよ」
ポツリと出た無意識からの言葉は、今日初めて私の胸を震わせた。でも、この言葉が無意味であることは私が一番よくわかっている。だって、私が一番好かれたかった二人の瞳には、世界で最も美しくなっても、映ることはなかったのだから。
「……まぁ、いまの麗華は、そんなに嫌いじゃなかった」
そして奇妙なことに、私の心をこれまでで一番まっすぐ受け止めてくれたのは、出会う前からずっと私に牙を剥いていた蟲惑ちゃんだった。
美しい私と、醜い蟲惑ちゃんでは目に見える境遇は天と地ほどにかけ離れている。でも、根っこのところで同じ蟲惑ちゃんは、時折私の中心を射抜くことがある。
それが急に恐ろしくなった。もしかしたら、この子なら私がほしいものをくれるんじゃないか。さっきまで世界に失望し切るために一緒にいたはずなのに、私の心は世界に希望があることを確かめるために、この子といようとしている。
自分自身の急激な変化が、受け入れられない。受け入れたくない。親がくれなかったものを、こんな他人がくれるはずがない。そんなわかりきったことを、今更期待してしまう自分自身の愚かさが、何よりも受け入れ難い。
「ねえ、クレーンゲームってしたことないから、やろうよ」
「……無駄なことにお金使いたくない」
「デートなんだから、私がプレイするのを隣で見ててよ」
自分自身への困惑を誤魔化すために、まだ疲れが取りきれていない蟲惑ちゃんを無理矢理立たせる。
この後バイトが本当にあるならそんなことしないけど、休みにしていることは振る舞いでわかっているから、少しくらい無茶をさせてもいいだろう。
「そういうことなら別にいいけど……」
「でしょでしょ」
自分で思っていたよりも、自分自身への変化に戸惑っていたみたいで、適当に選んだクレーンゲームの景品は、よりにもよって私だった。
正確には、二頭身にデフォルメされた東雲麗華のぬいぐるみであって私ではないけど、いざ実物を目の当たりにすると居心地が悪かった。
「可愛い麗華が二十匹くらいいる。悍ましいね」
「それを本人の前で言える人は、世界で蟲惑くらいだよ」
財布から百円玉を投入して、私の気持ちを代弁してくれた蟲惑ちゃんへの贈り物とするために、クレーンに集中する。
そう、これはまさしく悍まさ。この景品は私のことなんて写していない。東雲麗華ではあるけど、私ではない何か。
そもそも、こんなぬいぐるみを手にしたところで、東雲麗華を所有できるわけじゃない。それでも、本気で東雲麗華を所有しようとしてくれるならまだいい。
でも現実は、このぬいぐるみは他のぬいぐるみと一緒に置かれる。本棚に。机に。枕元に。
「よし、取れた」
クレーンゲームは初めてプレイするから、百円玉が五枚ほど生贄になったけど、私は無事に東雲麗華をその手に収めた。
「上手だね。そういうとこ、好きじゃない」
「はいはい。これ、プレゼント」
ほしかったからじゃなくて、気を紛らわせるために取った二頭身の東雲麗華を蟲惑ちゃんに押し付けるように差し出す。
「……なに、これ?」
「私のぬぐるみ」
「そういうことじゃなくて、これはどういうつもりって聞いてるんだけど」
「だからプレゼント」
「施しはいらないってさっき言ったよね!?」
また訳がわかるような、わからないようなキレ方をする蟲惑ちゃん。蠱惑ちゃんの感情はまるで、以前テレビ番組の企画で乗らされたジェットコースターのようで、ほのかな面白さを感じるようになってきた。
「施しじゃなくてプレゼントだって。初デートの記念に。それくらいいいでしょ?」
「……よ、よくない……」
「こういうのは、素直に受け取っておく方が恋人っぽいよ」
私の型にはまった説得に、納得してはいない表情を浮かべながらも、蟲惑ちゃんの両腕に東雲麗華が収められる。まるでそこが、最初から定められていた居場所だったみたいに。