《汚泥の底で煌めく一等星 最終話 エピローグ前半》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

「それじゃ、年齢と名前を教えてもらえる?」
「年齢は二十四歳で、名前は東雲麗華しののめれいかです」
テレビ番組の撮影。この企画は、占い師に今年の運勢を占ってもらうというしょうもないもの。
別に占ってなんてもらわなくても、今年の運勢も、来年の運勢もわかっている。だって、私には蟲惑こわくがいるんだから。
「結婚生活はうまくいっていますか?」
私生活のことを占っても構わないという条件で、この仕事を受けた。それでも、いきなり蠱惑との関係に首を突っ込まれるのは、不愉快だった。
私と占い師を映しているカメラは、トップモデル東雲麗華ではなく、私の姿を捉えているだろう。
「はい。すごくなかよしですよ」
「そう思っているのは麗華さんだけかもしれませんよ。なにせ、結婚相手があの東雲麗華ですから、一般人の方では、釣り合っていないと感じるのが普通ではないでしょうか?」
この占い師は喧嘩腰というか、わかったような口を聞いてくる。芸能界で十五年以上生きてきたから、大抵のことでは心は動かないけど、蠱惑との関係は唯一の例外だった。
親との確執を聞かれても、東雲麗華でいられるけど、蠱惑だと私が出てしまう。
「高校の同級生との結婚だから、そういうことはないと思いますけど、もしかしたらそういうこともあるかもしれないですね」
東雲麗華として、明るく、元気に、公平に物事を受け止めるキャラクターで受け流す。
どうせこの占い師は、人生で一度しか関わることのない相手。そんな人に言われたことを、気にする必要なんてどこにもない。
東雲麗華を演じているのは、蠱惑との生活を維持するのに都合がいいから。
東雲麗華はたくさんお金を稼いでくれる。お金がたくさんあれば、蟲惑が望むことをたくさん叶えてあげられる。もしも私が死んでも、私の遺産で好きなように生きていける。
私ではない東雲麗華を演じ続けることが辛くないかと聞かれたら、辛いのかもしれない。でも、昔と違っていまの私は、私を受け入れてくれる人がいる。生まれて初めて、愛する家族のために、何かを頑張っている。だから、辛いことも辛くはない。
「…ちゃんと見てあげた方がいいですよ」
カメラの前であることで逡巡したのか、瞳を震わせてから、占い師の女性がもう一度、警告してくる。
ちゃんと? 誰よりもちゃんと見ている。私は親に見てもらえなかった。だから、この世界の誰よりも、大切にしてくれるはずの相手から大切にされない苦しみを理解している。
自分が親に見てもらえなかった分と、相手が親に見てもらえなかった分。それを合わせた本来受け取るはずだった愛を、二人で埋め合っている。
そんな私たちに、「ちゃんと見てあげた方がいい」なんて、よく言えたものだと思う。
所詮占い師なんて、占い師だ。魔法や超能力、あるいは偶然から運命を読み取る術が、実在するはずがない。誰にでも掠るようなことを言って、煙に巻く。占い師とは、そういう人たちのための肩書きだ。

ロケを終えて、私は車を操って家へと続く道路を走っている。
夜の繁華街を抜けて、郊外の高級住宅地へとひた走る。思えば、この車には私以外を乗せたことがない。たまに同じ事務所の後輩や先輩が、乗せてくれないかと頼んでくることがあるけど、全部断っている。
最愛の蠱惑を乗せていないのに、他の人を乗せることは、なんだか受け入れ難かったから。
蠱惑は外に出かけることが嫌いだ。あの醜い容姿のせいで、衆目に晒されることに恐怖を覚えている。
それは大衆の視線に晒されることで生きている、東雲麗華とは正反対の生き方。だからこそ、その生き方を尊重したい。
だから私は、家から一歩も外に出ず、働いていない蠱惑の人生を肯定している。一般的には理解されない感覚だろうから、このことは誰にも話していないし、話すつもりもない。
だって、蠱惑が家から一歩も出ないことは、私にとっても理想だから。私以外との関係がなければ、蠱惑は私のことを想って全ての時間を過ごしてくれる。
それだけの濃度で私のことを想ってくれる蠱惑の存在だけが、私の寂しさを埋めてくれる。

※※※

家に帰った私が、真っ先に向かうのは、いつも蠱惑がいる部屋。そこを目指して、玄関を開けてすぐ目の前にある階段を駆け上がる。
その階段を登り終えてすぐ、”外側から”鍵がかかる扉が現れる。二階建てのこの家で、二階全体が蟲惑のためにある空間。
だって、一歩も外に出ない蠱惑を、狭い一室に閉じ込めておくのはあまりにもかわいそうだから。
トップモデルの東雲麗華は、お金をたくさん持っている。だから、愛する人を、とびっきり広い空間で飼ってあげたかった。
「ただいま、蟲惑ー」
一年中快適な温度に保たれた部屋。そこには、一糸纏わぬ蠱惑がいた。
「おかえり、麗華。今日は遅かったね」
蠱惑と出会ってもうすぐ七年が経つけど、二十四歳になった蠱惑は相変わらず正視に耐えない醜さだった。
「ちょっと撮影が長引いちゃって。いまからご飯作るからね」
「ありがとう」
でも、容姿に変化はないけど、変わったこともある。それは、蠱惑から私への当たりが柔らかくなったということ。
私がご飯を作ったら嬉しそうに食べてくれるし、結婚記念日や誕生日にプレゼントをあげたら、醜くて私以外にはわからないだろうけど、可愛い笑顔で受け取ってくれる。
だからといって何でもありになったわけではなくて、私が作った料理の見た目が綺麗だったら、ぐずぐずに崩してから食べる癖はそのまま。プレゼントが綺麗だったら露骨に機嫌を悪くする。
蠱惑がそういう性格なのは、あのマンションで同棲していたときにわかったから、蠱惑が過ごす二階だけは、ほんの少しだけ歪んだ骨組みにしてある。
美しいものを憎んでいるという蠱惑の根本は何も変わっていない。その例外に、私がいるというだけ。その例外も、私だけ。私のことは愛してくれているみたいだけど、東雲麗華は嫌っているという奇妙な関係のまま、結婚生活が続いている。
「ねえ麗華。私に似合う服が見つかったら、着せてくれるって話はどうなったの?」
二階にあるキッチンで料理をしていると、背後から蠱惑が半年ぶりに切るものに関する話題を持ち出してきた。
「まだ見つかってないの。ごめんね」
「こんな顔でも、恥ずかしいものは恥ずかしんだから、早く見つけてよ……」
「これでも頑張って探してるんだよ?」
「……本当のことを言ってくれない麗華は、好きじゃない……」
結婚してからの蠱惑は、私の嘘をちゃんと見抜いてくる。まぁ、バレたって構わない、しょうもない嘘しかついていないから、嘘を見抜かれても影響なんてほとんどない。
蠱惑を養うと決めた頃は、服を着せていた。だけど、どれも致命的に似合わなかった。誰が身に付けても似合うようデザインされていると、私自身が認めていた高校の制服でさえ、醜さのあまり致命的に似合っていなかった蠱惑に似合う服なんて、この世界にあるはずない。
一緒に過ごせば過ごすほど、蠱惑の醜さは受け入れ難い。制服ほど洗練された”無難”はない。どこにでも着ていける無難なファションの需要は高く、そうした特集は季節を問わず、組まれている。
そうしたファションのプロが考え抜いたスタイルでさえ、制服が持つ無難さの足元にも及ばない。
まるで物理の問題を解いている時のように、一般常識を完全に無視して考えるのなら、着ていく服に迷ったのなら、制服を着ていくことを私はおすすめしたいほど。
そんな服さえ似合わない蠱惑の容姿を、どうやって調理しろと言うのだろう。
手の施しようのない蠱惑と一緒に過ごす内に、辿り着いた答えがこれ。何も着ていない状態が、蠱惑の容姿が一番マシになる。
どれだけ醜くても、服を身につけていない状態の蠱惑は、多少なりとも私の本能を刺激して、醜さを掻き消してくれる。
そうした容姿を誤魔化す効果だけではなく、私が蠱惑を飼っていて、蠱惑は私に飼われている。そうした実感をお互いに共有できるから、こうなっている。
「……私のこと、捨てないでよ……」
それでも、こうしてたまに蟲惑は不安を吐露する。料理をする私の腰に抱きついてきて、顔を擦り付けながら。
「捨てるなら、とっくの昔に捨ててるって。私はそんなことしないよ」
「……それは信じてるけど……私、こんなだし……」
鬱陶しい。こういう蠱惑を、そう感じることは、正直少なくない。だけど、振り払うことができない。
だって、私の両親も、幼い私にこれと似たようなことをされて、鬱陶しかったのだろうから。
私は、こうして甘えたい気持ちと、甘えられる側の気持ち、どっちもわかる。だからこそ、振り払えない。
甘えられる鬱陶しさは、我慢すればいいだけ。でも、目の前にいる人しか頼ることのできない者が、手を振り払われた瞬間に感じる絶望は、甘えられる鬱陶しさの比較にはならない。
だから私は、仕事でいくら疲れていようとも、蟲惑を受け入れる。私がしてほしくて、ずっとしてもらえなかったことを、愛する蠱惑にはちゃんとしてあげたいから。

「ごちそうさま」
「うん、ごちそうさま」
私が作った晩ご飯を食べ終えて、挨拶をする。蠱惑は美しいものを憎悪していて、料理をぐちゃぐちゃに崩すのに、綺麗にご飯を食べてくれるし、丁寧に挨拶もする。
醜い容姿に、歪んだ狂気を孕んだ心。それでも、人として捨ててはいけないところはしっかりと守る。そういう歪に整ったバランスが、好きなんだと思う。
「それじゃ、後片付けするね」
「……麗華はまた明日、朝早いの?」
食事の後片付けをしていると、蠱惑が寂しそうな声を出す。こうしているときは、蟲惑をかわいいと感じてしまう。
もちろん、見た目ではない。こうやって私に甘えてくるところが、かわいい。
「いつもよりは少し遅いけど……相手してほしいの?」
「……まぁ、そういうこと……」
蠱惑を裸にしているのは、それが一番マシというだけで、別に興奮するわけじゃない。
でも、求められたら相手をしてあげたいくらいのことは思う。生物としての本能ではなく、愛ゆえに。
醜い容姿でありながら、美人の私に飼われている蠱惑は、頻繁に心が不安定になる。ついさっき、料理中にたくさん甘えてきて、構ってあげたのに、すぐこれ。
でも、蠱惑の立場で考えたら納得できるから、不安は極力安心に変えていけたらと思っている。
蠱惑の望みに応えてあげるというのは、そのための有効な手段だ。
「別にいいけど、お風呂入ってからね」

※※※

枕元で眠りに落ちている蠱惑。その容姿は、起きている時と変わらず、醜いまま。
普通、愛する人が無防備に眠る姿には、愛おしさを感じるもののはずなのに、全くそういう気持ちになれない。
こんな容姿の人間と同じ時間を共有して湧いてくる感情なんて、共通して一つだけ。一刻も早く、この人を視界から外したい。ただそれだけ。
そんな相手と、こうしてずっと一緒にいることを選んだ私の気持ちは、やはり誰にも理解されないだろう。

東雲麗華のような美人であれば、囲いたい人、飼いたい人はたくさんいる。まともな扱いを受けられるかどうかを考慮しないのなら、探す必要すらない。
美人は、ただその場にいるだけで価値がある。人を幸せにする。心地よくする。そして、美しさは、何者にも毀損されない。老いたところで、ちゃんと年齢に合わせれば、美人は美人なまま。
たとえば、美人が事故に遭って、容姿がぐちゃぐちゃになったとしても、美人が醜くなったという悲劇性がプラスされて、悲劇の美人になる。
何がどうなっても、美人は美人であるというただその一点だけで、常に価値がある。生活費がかかる置物として、監禁しておいたとしても、全く惜しくないほどに。
それに対して、あまりにも醜い蟲惑はどうだろう。蠱惑を飼う価値なんて、当然皆無。いや、皆無という評価さえ、極めて甘いとさえ思う。
蠱惑を飼うことはマイナスだ。食費がかかるとか、電気代がかかるとか、そういう金銭的なコストではなく、精神的に。
蠱惑の容姿は、極めて有害だ。こんな醜い人間を飼いたい人間、いるはずない。せめて心が清らかで、一緒にいて癒される性格なら、可能性もあるけど、それすらない。
容姿が醜く、そのせいでまともな人生を歩むことの出来なかった蠱惑は、心まで醜い。だから、これまで蠱惑自身がそう扱われていたように、叩いて壊すくらいしか価値がない。
だからこそ、こうして飼うことが、この世のどんなことよりも愛の証明になる。飼う価値なんて何一つない蠱惑。何の得にもならないどころか、心に害でしかないあなた。
そんな人を全身全霊で飼うこと。それが、私の偽りの愛に、文字通り命をかけてくれたあなたにできる、償い。
一度偽った愛を、もう一度信じてもらうためにできる、精一杯。
本来であれば、醜い蠱惑が、この世で最も美しい私に捨てられないように尽くさなければならない。それが本来あるべき、世界の理。
世界の法則を逆転することくらいしか、愛を偽った私に、愛を示す手段などないから。
誰にも愛されず、決して必要とされないこの世界で最も醜いあなたに対してだけ成立する、愛の証明過程。

まぁ、でも、そんな風に考えているのは、あなただけだろう。だって私は、あなただけが持つ美しさに気付いているから。
あなたは美しい。この世界の誰よりも。生まれながらに汚泥を纏い、虐げられ、奥底に沈められてしまった輝き。
この世界でたった一人……私だけが見つけた、一等星。私はそれを、独り占めにする。愛をもって、永遠に。