《あらすじ》
毒島蠱惑(ぶすじまこわく)は、その醜い容姿のせいで、不遇な幼少期を送る。そんな彼女は、自らの醜さを恨むあまり、この世に存在するあらゆる“美しいもの“を憎悪して、日々を生き抜いていた。
そんなある日、蟲惑は突然、同じクラスのトップモデルとして活躍する東雲麗華(しののめれいか)に一目惚れしたと告白される。
自分の容姿を誰よりも理解している蟲惑は、麗華の告白には何か裏があることを察しつつも、人生を逆転するために、美人を籠絡しようと理想の恋人を演じ始める。
《汚泥の底で煌めく一等星 前編その1 煌めきに呪詛を込めて》作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)
美人はいつだって得をする。美しさはいつの時代も人を惹きつけ、世界からの寵愛を惹き寄せる。私がそうした世界の真理に気付いたのは、社会の底で生まれ育ったから。
私が育った養護施設はいつだってお金がなかった。だからおもちゃは奪い合いになるし、食事は全員に充分に行き届くことはない。
そんな環境だからこそ差異は際立つ。幼い私は気付いてしまった。いつもおもちゃを優先して使える子がいることに。いつも目立たない程度に、でも明らかに多く食事をよそって貰える子がいることに。
そういう子に共通するのは、“可愛い“や“美しい“だった。施設の大人を惚れさせる笑顔を振り撒く子もいれば、子役として通用しそうなほど整った容貌をしている子。細かい違いはあるけど、得をしている子は容姿に恵まれていた。
そして得をする子がいれば、その分を埋め合わせる損をする子が生まれる。いつもおもちゃで遊べる子がいるから、割りを食っておもちゃで遊べない子が生まれる。食事の量が全員分には満たないのに、多く盛ってもらえる子がいる分、割を食ってただでさえ少ない食事を減らされる子が生まれる。
そういう子は得手して容姿に劣っていた。可愛くないし、美しくない。だから誰にも愛されず、その結果権利を踏み躙られる。損をする子は何人もいて、私はその中の一人だった。
当然私は、美人だけが得をすることを理不尽だと感じたし、傷付いた。でも、それは養護施設という恵まれない環境だからだと言い聞かせて、毎日をやり過ごした。
でも、現実はそうじゃなかった。美人はどこでも、いつでも得をしていた。小学校でも、中学校でも、高校でも、バイト先でさえも。
美人は学校行事や文化祭で華やかな表舞台に立つ。体が汚れるような裏方仕事は、私のような醜い人間に降ってくる。
バイト先でも美人な人は、本人は気付いていないんだろうけど、私と同じ仕事でも、楽になるよう、それとなく調整される。
ほんの数分とはいえ早く帰れたり、品出しの仕事でも軽かったり小さい商品を振り分けてもらえる。
私はいつでもどこでも、美人が楽をした分を補填させられる。ほんの数分長く働いたり、ほんのちょっぴり重い荷物を商品棚に積んだり。
私はいつでもどこでも、美人が得をするための舞台装置へ落とされる。
そうして積み重なった不満は、私に“美“という概念への憎悪を育んだ。美醜という概念に支配された世界も、そんな法則に乗っ取られている人々にも、嫌悪以外の感情を抱くことはできなかった。
そして、私が平日の大半を過ごす高校二年生の教室も美しさに支配されていた。
クラスの中心は明るくて、可愛い子。そんな中でも一際大きな人の輪を作り出している美少女がいる。
高校二年生という若さでプロのモデルとして働いている東雲麗華。彼女がクラスの中心。
彼女は仕事があるから学校をほとんど休んでいる。放課後友達とどこかに遊びに行ったという噂さえ一度も聞いたことがない。
いくら働いているからといって、そこまで付き合いが悪かったら普通は除け者にされる。だけど、麗華さんは世界に二人といないほどの美人だから、その程度のことで彼女の人望はびくともしない。
私のように容姿が劣っている人間は何をしても、何をやってもマイナスだけど、美人は違う。何をしても、どんな振る舞いをしてもプラスに働く。
いつも教室で一人の私は、影でキモいとか、いつか何かやらかしそうとか…‥酷い時にはあんなの親に捨てられて当然とか言われてる。
その一方で、いつも仕事があるからと人の誘いを断り続けている麗華さんは、さすがトップモデルとか、孤高の一番星だとか、無理筋な好意的解釈でベタ褒めされる。
同じ一人ぼっちなのに、美醜で著しい優劣が生じている。私はそんな世界が大嫌いで、美しい人である麗華さんの存在は、最も身近にある世界の醜さの象徴でしかなかった。
※※※
施設の人間に気に入られているかどうかで全てが決まる養護施設において、醜い私に人権はなかった。
だから私は、高校生になると同時に一人暮らしを始めた。奨学金という名の借金とバイト代で送る学生生活は、将来への負担と教室の環境も相まって辛いものでしかなかった。
暗澹とした毎日。美しくない私に興味を持つ人など誰一人としていないから、日常が変化する兆しはない。
私の人生はマイナスからゼロに反転するきっかけを見つけられずにいる間にも、美しさを持つ人は私を置き去りにしてプラスを積み上げ続けている。
友達を増やしたり、部活や学校行事で経験を積んだり。醜い容姿のせいで人と繋がることのできない私には、高校生活の中で積み上がるものが何一つとしてなかった。
一時限目が始まる前の教室は騒がしい。だから聞きたくなくても、窓際の席にいるのに教室中の会話が耳に入ってきてしまう。
今日の話題はこのクラスで……いや、認めたくはないけど世界でいま最も可愛い麗華さんのことで持ちきりだった。
そのきっかけは今日発売の雑誌の表紙を彼女が飾ったこと。その雑誌は海外のとても有名な雑誌らしくて、世界に認められたトップモデルしか表紙になれないらしい。
誰よりも美しい麗華さんのことを、クラスどころか世界中が認めている。その事実が気に入らない。美しいことがそこまで偉いのだろうか。より美しくあろうと努力することは、そこまで素晴らしいことなのだろうか。
美人というだけでクラスの中心で、世界の中心で、そういうところが気に入らない。美人は嫌いだけど、麗華さんはもっと嫌い。同じクラスに完全に別の世界に生きている人が存在しているという事実が心を抉るから。そして、美人に得をさせる世界は、もっともっと大嫌い。
家族もない。才能もない。容姿もない。何もかもない私がいる一方で、手が届くほどの身近に誰も手が届かないほど全てを持ち合わせている人がいる。その理不尽に打ち潰されてしまいそうになる。
私が時給千円のアルバイトでなんとか生活を成り立たせている反対側では、同い年の女の子が見た目がいいという理由だけで世界の中心でスポットライトを浴びている。
この筆舌に尽くし難い格差を、他のクラスメイトのように受け入れることが、私にはどうしてもできなかった。家族がいて、友達がいて、そういう子なら麗華さんのような存在が身近にいてもなんとかやり過ごせるんだろう。でも、私のように何もなかったらとてもじゃないけど耐えられない。
なんて卑屈なことを考えていると、一時限目の開始を告げるチャイムが鳴る。今日も麗華さんは学校に来ない。でも、彼女を載せた雑誌はこの学校に何十冊と持ち込まれている。
学校に滅多に姿を表すことのない麗華さんは、この学校に居場所がある。なのに毎日学校にいて、授業だって真面目に受けている私には友達の一人だっていない。
この差はどこで生まれているんだろう。容姿の差だけではないんだろうけど、私だって麗華さんくらい綺麗だったら人気者にきっとなれていた。綺麗でもない人が卑屈ならそれはもう最悪だけど、美人なら性格が捻じ曲がっていてもきっと許される。許されてしまう。
そうじゃなかったとしても、私がもう少し美人であれば、親に捨てられなかったかもしれない。養護施設でもいい思いができたかもしれない。もしそういう人生を送れていたなら、もう少し素直な性格になっていた。
つまり、結局のところ全部顔。顔さえ良ければ私の人生は開けていて、明るい学生生活を送れていた。それだけは間違いない。
※※※
放課後になれば誰もが学校を離れて、それぞれが違うことをする。部活に打ち込む子がいれば、塾に行く子もいて、友達と遊びに行く子だっている。私はそのどれでもなかった。
お金もなければ仲の良い友達もいない私には、楽しい放課後など過去を探しても、未来を探しても存在していない。
私の放課後はコンビニバイトの予定で埋まっている。でもそれは、他のアルバイトをしている高校生のように、将来のためとか、お金を貯めて好きな物を買うとか、そういうポジティブな理由じゃない。働かないと生活が成り立たないから。ただそれだけ。
養護施設は親じゃない。施設の人に愛されていれば別なのかもしれないけど、私のような醜い子にとっては規定の年齢になったらそのまま追い出される、薄情な制度。それでも、あの息苦しい空間で生きることに比べれば、いまの生活の方が遥かに良かった。
退屈で、技術が身につくとも思えない仕事でも、そのおかげで自由な暮らしが手に入ると思えば安い。一人ぼっちの家が寂しい瞬間もあるけど、血の繋がりも、心の繋がりもない他人と一緒に暮らす必要のない自由な家のことを思えば、どんな苦痛でも耐えられるような気がする。
お客さんが持ってくる商品の値段を打ち込んで、それが終わって暇な時間は商品を棚に詰め込んでいく。明らかに私の仕事が多いけど、他の仕事を探すのも面倒だし、ここが一番家に近いから耐えることを選んでしまう。
というより、こういう扱いをどこに行ってもされるから、諦めている。働く場所を変えたところで、私の顔が変わることはない。醜さを引き連れている限り、私への扱いが変化するなんてありえない。もうわかっている。
私に仕事を押し付けている人は別に、明確な悪意があるわけじゃないんだろう。ただ私の顔を見たくない。きっとただそれだけ。私が何か仕事をしていれば、同じ時間を共有せずに済む。
美人が得をするのは、一緒にいると心地良いから。醜い人が損をするのは、一緒にいて不愉快だから。本能的な快不快で扱いが決まっているんだから、抗いようがない。
そうした扱いをこれまで受け続けてきたからか、レジに私以外の店員がいたら、私の前に人が並ぶことは稀で……複雑な気分だけど仕事が減るから、得だと考えるようにしている。
そんな中であえて私を選んだ奇特なお客さんの商品を手に取ってバーコードを読み込むと、麗華さんの姿が目に入った。
それは今朝、教室で話題に登っていた海外のファッション雑誌の日本版。
「あの……」
「あっ、すいません」
予想していなかった麗華さんの姿に手が止まってしまう。この世界のどこにも居場所がない私に比べて、麗華さんはこんな有象無象のコンビニの中でまで一番目立つところにいる。
どうやっても私を受け入れてくれる場所を作ることのできなかった私がいて、麗華さんはどこでも居場所を作ってもらえる。本人が認知していないところでまで。
そんな麗華さんが羨ましいけど、羨ましすぎてどういった感情になれば良いのかさえわからない。
※※※
平日の日課であるバイトが終わって、古びたアパートの二階にある家に帰ってきた。
朝八時に家を出て、午後十時に帰ってくる。そんな毎日の繰り返し。友達と遊んだり、塾で勉強をしたり、恋人とデートしたり。そうした突発的な変化が本当に何一つない高校生活。
全然楽しくないし、楽でもない毎日だけど、帰る場所があるという人生で初めて感じる安心感。それだけを頼りに毎日をやり過ごす。
玄関の鍵を閉めて、畳貼りのリビングにあるテーブルの上に、ついさっき買ったばかりの私には似つかわしくない雑誌を投げ捨てる。
それから洗面所で手を洗う。そうしていると、粉々になった鏡の破片に写る私の姿がイヤでも目に入る。そこにいるのは、化粧や髪型では手の施しようがないほど醜い姿。
美人は嫌いだ。ただ存在しているだけでチヤホヤされて、肯定される。そんな人間を好きになれるわけがない。
そんな私でさえ思ってしまう。この鏡に映る姿が美しければどれだけ良かったか、と。
自分の顔が美しければ、髪型が崩れてないか、メイクが崩れて変な感じになってないか。そんな風にして、面白い要素がない手を洗う時間だって楽しめたかもしれない。
でも現実は、ただ不愉快になるだけ。私はこの容姿で損をし続けている。そのうえ、鏡に自分が映るたびに、他ならぬ自分自身が、自分の容姿に不愉快な気持ちにさせられている。
それに腹が立って、家にある鏡はどれも衝動的に割ってしまった。他の人が私を避けたり、自動的に嫌いになる理由を、他でもない私自身が一番納得している。だって、私がこの世界で一番、この顔と長く付き合っているから。
でも、自分からは逃れられない。だから、仕方なく今日も自分を呪い続けるしかない。
その時ふと、背後を振り返って目に入ってきたのは、クラスのみんなが持ってきて、コンビニのお客さんが買っていた、いま世界で最も美しい美少女、麗華さんが表紙を飾る雑誌。
この雑誌が鏡であればどれだけよかっただろう。麗華さんの凛とした立ち姿も、麗華さんが纏う衣装も、それらが美しく感じられるのは麗華さんが綺麗だから。
私ではダメ。同じ立ち居振る舞いでも、同じにはなれない。同じ服を身に着けても、同じにはなれない。
だって私は醜いから。醜い私では、決して美しくはなれない。可愛くはなれない。だから、手の施しようのない私は誰にも好かれることはない。
そう、わかっている。もう、諦めている。だから、つい、気の迷いでこの雑誌を手に取ってしまった。
私がいる場所は、私のせいで汚れてしまう。でも、私だって家が汚れているよりは美しい方がいい。
麗華さんほどの美しさであれば、インクで印刷された偽物であったとしても、私の覆い隠すことのできない醜さを埋めてくれる気がしてしまった。
そして、それは少し正しくて、大きく間違っていた。
たった一冊しかない麗華さんの姿は、確かにインテリアとして家の中を鮮やかに彩ってくれた。そして、その美しさは、私の醜さを眩しく暴き出す。
それがとても不愉快で、雑誌を手に取って、鏡を両手が叩き割り血塗れになったときのように衝動的に破り捨てそうになる……
だけど、引き裂こうとした瞬間、麗華さんの姿が目に止まり、私の両手も止まる。
美人は憎い。私から全てを奪い去っていった美人なんて……でも、そんな私でさえ、美人を傷付けることを忌避してしまう。こんな、何百万とコピーされているカラー印刷だとしても。