私は、菊花のことが嫌いだ。我が物顔で日美香の隣にいる菊花のことが、大嫌いだ。
大学に入るまでずっと、そこは私の場所だった。小学校の頃からずっと、日美香の隣は私だけのものだった。
明るくて、社会的で……だけど、少し無思慮なところがある日美香だから、ずっと隣にいるのは大変。だから、こんな根暗な私でも隣をキープできた。
私は、慎重で、物事を深く考えてしまうから、正反対の日美香にずっと憧れていて、ずっと好きだった。
でも、日美香はただ一人である恋人を求めず、大勢である友達を欲していることを理解していたから、私は日美香の恋人ではなく、親友であり続けた。
小学校も、中学校も、高校でも。大学だってそのはずだった。そのはずだったのに……
「どうしたの、蓮? 今日、疲れてる?」
「いや、そんなことないよ。ありがとう」
私と日美香と菊花の三人で、大学のキャンパスを歩いていると、いつも決まって私が最後尾になる。そして、最前列はいつも日美香と菊花だ。
そして、私が二人の距離にイラついて遅れると、そのことに気付いてくれるのは、いつも決まって菊花の方。
それが一層私を苛立たせる。遅れた私に日美香に気付いてほしいのに……
日美香は明るい性格だから勘違いされがちだけど、周りを見ているようで見れていない。自分が正しいと思ったこと、そうする方が自分にとって心地良いことをしているだけ。
だから、私が遅れていることにも、私が日美香を好いていることにも気付いてくれない。
それに対して菊花は、明るい性格だけど、日美香と違って、周りを見ている。暗いよりも明るく振る舞う方が、周囲の人間は心地良いだろうと考えてそうしている人だから、私が遅れていることに気付いてくれる。
私が遅れていることを、好きな人に気付いてもらえないのは苦しい。ずっと好きで、一緒にいた十二年をなかったことにされているみたいで。
私が遅れていることを、好きな人を奪った人に気付かれるのは苦しい。この人を好きになっていれば、十二年も恋心を隠す必要はなくて、結ばれることもできたんだろうなって、考えてしまうから。
「なら、いいんだけど」
「蓮は昔っからこんな感じだから、心配することないよ」
「私はそういう問題じゃないと思うけどな」
菊花はなぜか私を気遣ってくれる。確かに、私は日美香の小学校の頃からの親友。だから、あんまりぞんざいな扱いをすると日美香との関係が悪化しかねない。
でも、菊花の気遣いは、その域を超えている。日美香とずっと一緒にいれば、”自分が蓮のことを気にかけていないこと”に気付かないことくらいわかるはず。菊花が私を気遣ったとしても、そうしなかったとしても、日美香から菊花への評価は変わらない。
日美香の感性は、そんな細かい感情の機微を拾えるほど、洗練されていない。そんなこと、人をよく見ている菊花はわかっているはずなのに。
※※※
午前中の講義が終わり、お昼休みがやってくる。お昼休みも変わらず、三人一緒。偶然か必然か、自由に授業を選べる大学のシステムなど存在していないかのように、私たちと菊花は同じ時間を共有している。
私は日美香と同じ時間割になるようにしたから当たり前だけど、日美香は本当にただの偶然。
日美香は偶然私たちと非常に近い時間割になり、たまたま隣の席に座って、気付くと日美香と菊花は恋人同士になっていた。
当たり前だけど、私は日美香に二十四時間べったりくっついていたわけじゃない。だから、その空白の時間で二人は仲を深め、私はずっと好きだった人をポッと出の菊花に奪われた。
ずっとずっと私の場所だった日美香の隣を、私よりも”近い隣”を菊花は瞬く間に手に入れた。
許せない。そう思っているのに、菊花なら仕方ないと思わされることがたくさんあることが、余計に彼女のことを許せなくさせる。
いまだって、日美香はお昼ご飯をどうしようかと、学食のメニューを眺めているのに、菊花はそれとなく椅子を引いて、私が座りやすいようにしてくれる。
私や日美香にはできない細やかな気遣い。菊花が、良く言えば裏表がなく、悪く言えば無神経な日美香の心を射止めるたのは、必然のように見える。それが私を苛立たせる。
「あっ、スマホ忘れてきちゃった! 取りに行ってくるから、先に食べてて!」
いつもスマホでお金を払うことにしている日美香が、慌ただしく食堂を出ていく。
「日美香は相変わらずだね」
「そうだね」
大学で出会ったばかりのあなたに、日美香の何がわかるのか……そんな言葉が頭に過るけど、無難な言葉に言い換える。
私は少しでも日美香と一緒にいたいだけなのに、その肝心の日美香が忘れ物なんてするから、こんなやつと二人きりにされる。
二人一緒にレジに並んでいるというのに、最初以降会話が一切ない。気が効く菊花のことだから、私があなたのことを嫌っていることくらいまでは、気付いているだろう。
だから、あなたはこうして私に気を遣って、黙ってくれているんだろう。普通なら、恋人との二人きりを邪魔している私に、苛立ってもおかしくないのに、こうして気を遣ってくれて……こういう、良いところまで含めて、菊花が気に入らない。
ずっと好きだった人を取られた恨みのせいで、何が何でも嫌なところと結びつけているという自覚はあるし、そういう自分がキライだ。でも、自覚があるからって、やめられるわけじゃない。
席に着いて、嫌いな人と二人きりでお昼ご飯を食べる。目の前で食事をする菊花の姿は、食べるという野生的な行為の最中だというのに、妙に丁寧で整っていて、美しくすらある。
お箸の持ち方が正しいとか、食べ方が綺麗とか、そういう表面的でない部分が、私にそう感じさせているように思う。
食事中だというのに、ため息が漏れる。これではまるで、私が菊花のことが好きみたいだ。まぁ、実際、そうなんだろうと思う。
私がもし、日美香よりも先に菊花と出会っていたら、私は菊花を好きになっていたと思う。私の容姿の好みは、日美香のような明るくて元気な人だけど、気が合うのは菊花のような気配りができる人だから。
「蓮、さっきから私のこと見てるけど、今日の私、なんか変かな?」
「いや、そんなことないよ。今日の服、可愛いなって思ってたから、そのせいかも」
「蓮がそんなこと言うなんて珍しいね」
無意識とまでは言わないまでも、自分で意識しているよりは菊花のことを見ていたことを誤魔化したくて、咄嗟に出た言葉は、確かに自分らしくなかった。
普段の私は、自他の容姿に関心がない。そんな人間がいきなり、服が可愛いとか言い出したら、不自然極まりなくて、何かを誤魔化したんだとバレバレだ。
「まぁ、いいけどさ……」
菊花はそう言い淀む。最近の菊花は、私と不意に二人きりになると、いつもこうなる。何かを言いたそうにするのに、結局口にしない。
私の印象でしかないけど、菊花は思い切りがいいタイプ。そんな人間が、私の目の前でだけこうなられると、私が悪いみたいで、面白くない。
「そういう菊花だって、私の前でだけ珍しいように見えるけど……何か私に言いたいこと、あるんじゃないの?」
だからなのか、私の方から聞いてしまった。私の目の前でだけそわそわしている菊花が、正直に言うと、目障りだったから。
「……日美香、もうすぐ帰って来るかな?」
「探し物あんまり得意じゃないから、しばらく帰って来ないと思うけど」
私の前でだけこうなるし、わざわざこんなことを聞くということは、日美香には聞かれたくないことなんだろう。
確かに、菊花からしたら、いつも日美香との間に割り込んできては、不満そうな空気を漂わせている私は邪魔だと思う。
かと言って、日美香と一番仲が良いのが私であることも確かだろうから、「遠慮してほしい」と言い辛い気持ちもよくわかる。
いつかこうしたことを言われるだろうと覚悟していたし、その時はさすがに身を引くべきだと思っていたから、ちょうど良いのかもしれない。
小学生の頃からずっと好きな相手に、なんだかんだ理由をつけて想いを伝えられなくて、ずるずると引きずって……そろそろ、別の恋を見つけるきっかけが、私には必要なんだとも思う。
「…………私の勘違いだったらごめんね。蓮ってさ……その、日美香のこと、ずっと好きだったんじゃないかなって、それが心配で……」
私に取って、あまりにも大切なことを聞かれて、思考が完全に停止していたことに気付くことにさえ、時間を要していた。
菊花は食事に手をつける素振りすら見せず、いまから身を投げますと言わんばかりの強張った表情で、あまりにも予想外すぎる言葉を発した。
どう言葉を返せば良いのかわからない。これまでずっと抱えてきた感情で、それをこのまま捨てようと決心しようとしていた矢先だというのもある。
でも、だからといって、誤魔化しようもない。菊花はいつものように明るく、冗談めかして聞いてきたわけじゃないということは、確信があったということで、しかも覚悟を決めて、いままさに口にした。
この菊花を言い包める自信、私にはない。それに、なんというか……私の性格が悪いのか、菊花に言い返したい気持ちだった。
私は散々、日美香と菊花の二人きりの時間を邪魔してきた。その上、菊花に対して刺々しい態度を取り続けてもいた。鈍い日美香は、私の菊花への嫌味な態度に気付いていなかったみたいだけど。
そんな私に対して、「心配で……」と口にできてしまう菊花が、癇に障る。
私の感情があまりにも理不尽であることは自覚している。でも、仕方ないじゃない。ここまで菊花が良い人だと、日美香の恋人であることが、私なんかよりも菊花の方が相応しいと余計に確信させるんだから。
”納得”という感情は、必ずしも心を慰めてはくれない。納得が余計に、心を逆撫でることだって、当然あり得て、それが”いま”だ。
「だったら、どうしたの。もう、終わった話でしょ」
「そうだよね、気付かなくてごめんなさい。二人の関係がよくわかってない時に、告白されたから、なんとなくでオッケーしちゃって……本当なら、蓮が先に告白する権利があったはずなのに……」
良い人すぎるのも考えものだと、心底思う。私に権利があったとか、なかったとか、今更言われてもイライラするだけ。菊花はそんな簡単なことがわからないような人ではないと信じていたのに……
「終わった恋を蒸し返さないで。日美香への未練があるから、こうして三人一緒にいようとして、菊花には散々不快な思いをさせてたとは思うけど……謝らないよ」
「蓮の気持ちを考えたら、怒って当然だと思うから、そんなこと求めてないよ。ただね……私は蓮も幸せになってほしいから、どうにかできないかなって、いろいろ考えてたんだけど……」
どうにかする方法? そんなものがあるはずない。菊花が日美香と付き合って何ヶ月になる? 答えは一年一ヶ月だ。ヶ月ですらない。そんな二人の関係に対して、今更何ができるというのだろう。
二人がただ一年付き合っているだけならまだしも、二人はなぜか結婚の約束をしていて、それがお互いの両親の公認なのだ。
これがゲームオーバーでなくてなんだと言うのか。ここからコンテニューする方法が実在すると言うのなら、後学のためにも是非とも伺いたい。そんな気持ちでいっぱいだ。
「そんな方法あるわけないでしょ。あんまり舐めたことばっかり言ってたら、本当にキレるよ」
「舐めてなんてないよ。蓮はわからないかもしれないけど、私は蓮のこと、結構好きだよ。そういう、本心を隠そうとして、全然隠せないところとか」
菊花は、さっきから……いや、出会った一秒目から、的確に私の地雷を踏んで……いや、踏み躙っていく。
いまもそうだ。私は、自分を隠して生きていたい。自分の核となる部分は、人に見られたくなんてない。そんな敏感なところ、世界に晒したくなどない。
だから、こうして一番大切な心の箇所が顔に出てしまう自分が、大嫌いだ。だから、日美香が好きなんだ。
私の見られたくないけど、出てしまうところに、日美香は全然気付かないから。気付かないままでいてくれるから。そんな天然な日美香が好き。
決して、自分から他人の急所を掘り起こしてしまう、菊花のような人間を好きになったりしない。
「だからさ、私はね、私と日美香と蓮の三人一緒に付き合うのが、一番良いんじゃないかなって、そう思ったんだ」
菊花の言葉に、我が耳を疑った。キライな人間と二人きりという状況が、幻聴をもたらしたのではないかと考えてしまうほど。
何が”だから”なのかわからないし、三人一緒に付き合うという発想それ自体が荒唐無稽すぎる。
「最初に日美香に話すわけにはいかないから、受け入れてくれるかはわからないけど、ちゃんと説明すれば、日美香はわかって……」
「いきなり訳のわからないこと言わないで!」
大学の食堂であることを忘れて、声を荒げてしまう。そのせいで、周囲の視線が私に集中するけど、そんなことどうでもよかった。
この女は……こういうところがある。こういう理想論を、口にしてしまうようなところが。確かにそれが一番良いけど、それができないから苦しんでいるということを、口にしてしまうところが。
本人は自分を賢いと思っているんだろうし、実際賢いとは思う。だけど、心というものは、知性的な振る舞いができないことが多々ある。
そんな簡単なことさえ、わからないのだろうか?
「私も、自分がおかしなことを言ってることも、蓮が簡単に首を縦に振れないことも、わかってるつもりだよ。でも、これ以外に三人一緒に笑える結末はないと思うの」
頭と心の中では、肉体が破裂してしまいそうなほどの罵詈雑言が溢れ出して止まらない。”なのに”、あるいは”だから”、何一つ言葉としてまとまらない。
だって、菊花が言っていることは、紛れもなく正しいから。三人一緒に幸せになる。その条件を満たすには、確かに三人一緒に付き合うしか道がない。それはわかる。
菊花はちゃんと日美香のことが好きで、日美香も菊花のことをちゃんと愛している。いくら菊花が大嫌いな私でも、そんな二人の関係が壊れることを望んでなんていない。
だからって、このまま日美香の親友として、日美香の人生の中で処理させることにも耐えることができない。
だから……だから! 菊花の言っていることは、正しい。三人一緒に付き合えば、全てが丸く収まる。そのはずだけど……そうじゃない私がいる。
満場一致のハッピーエンドに繋がる正しい選択。それを受け入れることができない私……その理由を探ろうとするけど、自分でもよくわからない。
「すぐに答えられないのはわかってたし、こんなこと言われてもしんどいよね。答えはいつになっても大丈夫だから」
菊花は私に気を遣わせないよう気遣った声色でそう言って、ようやく食事に手をつけ始めた。
こんな出鱈目なことをずっと考え続け、ようやく口にした菊花は、そそくさと日常へと戻っていた。それに対して、いきなりこんなことを言われた私は、頭がぼんやりとしていて、何も手につかないし、つきそうにない。
私は、自分の心と向き合うことで精一杯すぎて、日常をこなすことなんて、不可能だった。
三人一緒に付き合う……私が頷くだけで、そうなれる。十年以上、心に秘めることしかできなかった日美香への想いが、菊花の提案を受け入れるだけで、報われる。報われてしまう。
それがきっと、私は納得できない。よりにもよって、私の好きな人を奪った菊花からの助けで、好きな人と付き合えるようになる。しかも、三人同時に。
そんなことを、受け入れられるわけがない。菊花はそれで良いだろう。あれこれ理由を考察するまでもなく、自分から言い出したことなんだから。
日美香だって構わないと思う。菊花のことが好きで、私のことを恋愛対象として見ていなかっただけで、親友と呼ばれても差し支えない関係なんだから。
でも、私だけが違う。私だけが二人から取り残されている。私が好きなのは日美香だけで、菊花じゃない。なのに、菊花の慈悲で日美香と付き合えるなんてことになったら……この先ずっと、このことが負い目になる。
菊花のことが気に食わないのに、日美香と付き合えるように取り計らってもらったという恩が纏わりついてきて、私の心を縛って離さない。自分の性格も含めて、そうなることは目に見えている。
だから、ムリだ。私の初恋を報わせる方法が、これだけだとしても、不可能だ。好きでもない菊花に、とても返済できない借りを作るようなやり方は、とてもじゃないけど。
「……待つ必要なんてないよ。菊花の言っていることは正しいとは思うけど、私はそこまで正しさだけでは生きられない……」
「そんな卑下するような言い方しなくても……元はと言えば、私が、日美香が築いてきた人間関係をあんまり考えずに、その場で告白を受け入れたことにあるわけだしさ」
菊花の優しさを超えたお人好し具合に、苛立ちすぎて眩暈すらしてくる。いきなり告白されて、混乱して、受け入れてしまうことなんて、よくある話だ。
告白されて、告白してきた相手のことを好いている人がいないかどうかをわざわざ考えなきゃいけなかったなんて後悔するバカは、あなたくらいのものだ。
「そういうわけのわからない考え方、鬱陶しいからやめて」
「私だって普通ならこんな考え方しないけど、蓮の態度を見ればすぐ気付けたことだと思ってるから」
「そんな悲惨な考え方したところで、私と良好な関係が結べるわけないし、やめた方がいいよ」
「そうかな。蓮は口はちょっと悪いけど、優しいし、いまこうして、やっと蓮と会話ができて、ちょっと手応え感じてるくらいなんだけどな」
結局、私は菊花のこういうところが苦手なんだと改めて思う。妙に感が鋭くて、意味不明なところで自己否定的で、なのにありえないくらい前向き。
人間の心が一枚岩でないことは心得ているつもりだけど、ここまで複雑だと、歪ささえ感じてしまう。
つまり、私は菊花の精神構造が気色悪いのだろう。真夜中の無人の廃ビルのような不気味ささえ漂わせる、菊花という人間が。
菊花の本質に触れることのない友人という関係や、鈍い日美香には見えない闇。だけど、私のように日美香を奪った相手だから、観察していた私には露見してしまった狂気。
この滲み出してくるような、触手のようにヌメヌメとした、生ぬるい菊花という人間を、私はどうしようもなく受け入れることができない。