汚泥の底で煌めく一等星 前編10話 この想いは灼熱のように》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

失意の中、一抹の希望を抱えて家に帰った私は、この世界を満たす理不尽に苛まれていた。
なんで……なんで私の人生はいつもこうなんだろう。この顔のせいで虐げられて、差別されて、家族も、居場所も何もかも失って……
今度はこの顔で、決して届くことのなかったはずの一等星に見染められ……
禍いも幸運も、この世の条理は全てこの顔が運んでくる。私の気持ちの一切合切を無視して。この顔が私の人生の全てを決定している。それが……悔しくてたまらない。
なんで、容姿なんて不合理で、理不尽で、無意味なものにここまで振りまわされないといけないのか。ここまで人生を左右されなければならないのか。
別に私は、麗華れいかほど綺麗な人と付き合いたいなんて思っていなかった。ただ私のことを否定しないで見てくれる人がそばにいてくれさえすれば、それだけでよかった。
貧乏でも普通に家族といられたら、それだけでよかったのに……
でも、この世界のどこにも、そんな可能性はないと知っているから……麗華だけが例外だってわかっているから……
割れた洗面台の鏡に映る、愛されることを知らない醜い姿。こんなものの何が良いのか、私には全くわからない。
それでも、麗華はこの容姿を気に入ってくれている。左目に青あざができただけで、普段は何をしても、言っても優しくしてくれる、温厚な麗華が別れを切り出すほど激昂するくらい。
もう、もううんざり……この顔に振り回されるのは……でも、私は麗華のことを、自分でも気付かぬうちに好きになっていた。
麗華は醜い私を人間扱いして、対等に接してくれた。醜い容姿のせいで歪みきった心まで、受け入れてくれた。
美人だからじゃない。確かに最初は美人だから利用してやろうと思って近づいた。でも、いまは違う。麗華は優しい。だから好き。
いや、好きなんて美しい感情じゃない。好きなんて甘酸っぱい感情、とうの昔に削ぎ落とされている。私はただ麗華に依存しているだけ。
私を対等に見てくれるから。私がどれだけ酷いことを言っても顔色ひとつ変えずに、私を愛し続けてくれるから。
ずっとずっと、この顔のせいで虐げられ続けてきた私が、麗華に依存せずにいられる理由なんてあるはずない。
親からも捨てられて、養護施設にも居場所はなくて、学校でもバイト先でも私はいないもの扱い。世界から排斥された私をただ一人受け入れてくれた麗華。麗華だけが私の世界になってくれた。
麗華が好きなんじゃない。私には麗華しかない。麗華以外に頼るものなんてひとつだってもないし、将来手に入る可能性も絶無。
だから、この幸運を逃すわけにはいかない。こんな美しくない私を、美しいと思ってくれる人と出会えた幸運を。百億回人生を繰り返しても出会えない運命の悪戯を。
麗華は「あなたが好き」と言い寄ってくる相手を切り捨てたって、無限に次がある。でも、私は違う。麗華を失ったら、永遠に次はない。
麗華との出会いは、容姿という最強の武器を持たない私にとって最初で最後のズル。“美しくない“を“美しい“に変えてくれる、私の人生という山札にたった一枚だけ混ぜられていたジョーカー。
人生は絶対に平等じゃない。麗華のようにジョーカーだけの人生もあれば、絵札すらない人生だって存在する。
そういう意味で、私はまだ幸運だった。たった一枚、たった一度とはいえ全てを逆転する機会と巡り会えたのだから。

割れた鏡に映る見慣れた美しくない私の姿。憎悪しかないそれが、いまの私の全て。いつまでこの容姿で麗華を魅了し続けられるかはわからない。わからないけど、この容姿が失われてしまえば、麗華を喪失することだけは確か。
だから……この姿を変えるわけにはいかない。何ひとつ、寸分の違いもなく、維持し続けねばならない。麗華の寵愛を手元に置き続けるために。
そのために、自分で見ていても脳が裏返ってしまいそうなほど醜い容姿を、穴が開くほど見つめ、左目の傷以外麗華にとって理想の容姿を脳裏に刻みつける。念の為に携帯のカメラで見本を明確な形として残しておく。
それから、麗華の言う「顔が好き」が本当に顔だけなのかわからないから、服を脱いで、全身の写真を収める。
体の肉付き。肌の色。その全てを全身余すことなく写真に残す。私のどこが麗華ほどの美人のお眼鏡に叶ったのかわからない。わからないから、私にできることは”私”を何も変えないこと。
自撮りなんて一生するはずないと確信していた。でも、いまは麗華がSNSにアップロードしているらしい自撮りよりも真剣に、自分を撮っている確信がある。
麗華さんは自分の生き死にをかけて自撮りをしているはずない。どうせただの暇潰しか、芸能活動の一環。でも、私は違う。文字通り人生がかかっている。これから先の人生に希望を残せるかどうかという、心の生死が。
生きるか死ぬかの戦いに妥協なんて許されない。容姿を維持するためには食事制限や運動が必要なはず。
でも、私の場合は少し事情が違う。美人という概念には正解がある。だから、そこに近付ける方法論が確立されている。でも、私は少しでも美人という概念に近付くんじゃなくて、”このまま”でいないといけない。

体重を増やしても減らしてもダメ。筋肉を増やしても減らしてもダメ。人生で一度も化粧をしたことがないんだから、それもしちゃいけない。
私の容姿がどうやって成り立っているのかを私は知らない。だって、容姿を気にしている人たちと違って、私はただありのままに生きていただけだから。何をどうしてこの容姿になったのか、皆目見当がつかない。
だから、”このまま”を維持するために何をすれば良いのかわからない。普段通りの食事をして、普段通りの生活をすれば、きっとこの容姿のままでいられる。
でも、麗華と一緒にいる権利……即ち生存権が賭けられていると知ってしまった以上、冷静に”普段通り”なんてできるわけがない。
麗華と出会ってから、麗華に人生全てをめちゃくちゃにされて……ついに、普段通りがどんなだったかさえわからなくされた。
そんな相手のことが好きだなんて……だから、いまはもう遠くなった”普段通り”をするしかない。それしか私に生きる道は残されていないんだから。

※※※

休日が開けて、また学校が始まる。今日も変わらず、外は真夏の日差しがコンクリートを溶かしている。
にも関わらず私は、押し入れから引っ張り出してきた冬用の制服を身につける。そこに一昨日の夜、急いで注文したバイクに乗る時に使うヘルメットを被る。
容姿を守る。そのためにできることは全てやると決めた。思いつく限りのことは全てやり尽くす。麗華の恋人であり続けるために。

麗華が私の肌の色が好きかはわからないけど、日焼けを防ぐために長袖を着る必要がある。麗華は私の顔が好きだと言っていたから、頭部への怪我に備えてヘルメットは絶対に外せない。
ついさっきまでエアコンをつけていた部屋にいたけど、すでにもう暑い。外気は三十度を超えていて、こんな気温の中、冬服で出歩いたらそれだけで倒れてしまいそうだけど、やるしかない。
ここまで容姿の変化を対策してまで外出するくらいなら、いっそ学校に通うことをやめることさえ考えたけど、そんなことをしたら”普段通り”から遠ざかってしまう。
その結果、運動不足になっていつもと違う容姿に変わってしまうかもしれないから、それはできない。

外に出て、いつもと同じ通学路を歩く。いつも私のあまりにも醜い姿を見る人の冷ややかな視線を感じるけど、今日はいつもよりもそうした視線が多いのは気のせいじゃない。
醜すぎる容姿もそりゃ目立つけど、真夏に冬服を身につけて、ただ道を歩いているだけなのにヘルメットを被っている、重武装の高校生がいたら目立つに決まっている。
いまの私の姿が狂っていることなんてわかっている。醜いなんていう理由だけで私を差別し、奪ってきた人たちを許す気には到底なれない。でも、この状態の私を見て異常だとか、気味が悪いと指差す人は、何もおかしくない。こればっかりは、おかしいのは私だ。
麗華に嫌われたくないがためにここまでするなんて、壊れているのはわかっている。それでも、生まれて初めて夢中になれることを見つけられたような、不思議な気持ちにいまは従っていたい。
生地の多さの分だけ重量を増した冬服は、私から体力を奪い、水分を搾り取っていく。冬になれば身につける者を外気から守ってくれるはずの装備が夏場では、ただの足枷未満と成り果て、命まで吸い尽くそうとしている。
それでも、私はこれを続ける。毎週土曜日、麗華の恋人として一緒にいるために。