汚泥の底で煌めく一等星 前編11話 人生切除計画》 作:神薙羅滅(Kannagi Rametsu)

「あの……真夏に冬服を身につけるのは、個人の自由かもしれませんが、授業中にヘルメットを被るのは、いかがなものかと思います」
麗華れいかのいない教室で、いつも私の容姿を理由に煽ってくる国語の教師が、今回ばかりは私の常軌を逸した奇行にふにゃふにゃとした言い方になっているのが面白かった。
容姿をバカにするのは簡単だ。見ればわかることだから、事実を並べればことが済む。
でも、いまの私の行動は他人からみれば意味不明だから、明瞭な言葉が出てこないようだった。国語の教師なのに情けないと思う。
「日に焼けるのがイヤなので被っているだけです。そもそも、授業中にヘルメットを被ってはいけない校則はありませんよね?」
普段の私なら、大人しく引き下がっていたと思う。醜い私がいくら抗議したところで、どうせ思いが叶うことはありえないから。
でも、今回ばかりは引き下がれない。麗華がいなくなったら、私の人生から希望は消えて無くなってしまう。
容姿を誰よりも憎んでいるはずの私が、容姿に縋るなんて、これ以上に自分の尊厳を傷付ける行為なんて想像できない。それでも私は、この醜さを極めた容姿以外に、縋れるものがないから。
誇りとか、屈辱とか、そういう人間的な感傷を気にしてられるほど、恵まれていないことくらい自覚している。
「そんなわがまま、社会では通用しませんよ」
先生の嫌味など、どうだっていい。どうせ、並み以上の容姿の持ち主に、私の気持ちなんてわかるはずない。頼るものがいくつもある、あなたたちのような人間には。
世界でたった一人……八十億人にたった一人しかいない、私の容姿を好きになってくれる人にしがみつくこと以外に、愛を得る術がない私のような生き物未満の思いなんてわかるはずない。
普段は気になっていた世界からの嘲笑も、いまは気にならない。というか、気にしてられない。世間の目とかそういう雑音に構っている余裕、私の人生にない。
私のように容姿が終わっていて、特別な才能すらない人間は、たった一つしかないチャンスに人生を全て投資するしかない。
世間体も、肉体も、全て犠牲にして、麗華を繋ぎ止めるために使うくらいして、ようやく人並み未満に届く。

お昼休み。普段通り私の近くに人はいない。顔を隠したところで、その下が醜いことをクラスメイトは全員知っている。その醜悪な人間が、こんな気持ちの悪い格好をしているんだから、嫌悪感は青天井。
今日の出来事で、私の学校での居場所はさらになくなった。でも、仕方ない。牢獄のような世界の底が抜け、さらに下層へ堕ちることになろうと、麗華との関係を守りたかったんだから。
ヘルメットの中は真夏の灼熱が逃れることなく循環し続け、肺を蒸し焼きにしている。そして、身につけている冬用の制服は、風通しが悪く、体温を守る機能が高くて、それは焼けるような熱をそのまま全身で循環させ続ける。
通学路の時点でわかっていたことだけど、この容姿を守るための姿は、悍ましいほど肉体に負荷をかける。それほど肉体的に優れていない私の体が、お昼まで持ち堪えてたことが奇跡に思えるくらい。
このまま容姿を守ることだけを考え続けていたら命に関わると、本能が警鐘を鳴らしている。その警告に従う方が正しいんだろうけど、そんな生物に備わっているプログラム通りに行動していたら、私のような人間は幸せを掴むことなんてできやしない。
命を守ることよりも、この容姿を守ることの方が遥かに大切。この醜い容姿のままであれば、たとえ死んだとしても、運が良ければ麗華が私の遺体を愛でてくれるかもしれない。誰にも抱きしめてもらえなかった私を、見送ってくれるかもしれない。
そう思えば、拷問のように思える暑さも、吐き気も、全部耐えられる。全然大したことじゃない。

※※※

「どういう趣味か知らないけどね、仕事中はその格好やめてくれないかな?」
放課後、バイト先のコンビニの更衣室で制服に着替え終えて、レジに向かおうとしていると、店長に呼び止められた。
「肌が弱くてこうしてないと生きていけないんですけど」
日焼けしたくないという理由では弱いことは今日の学校でわかったから、少し理由を工夫してみる。まぁ、無意味な工夫だとわかってはいるけど。
「いや、先週まで普通にしてたでしょ? あなたみたいな人がいたら、店の空気が悪くなるの。それをみんなで必死にフォローしてあげてたのに、こういうことされるとさすがにね……」
散々面倒な仕事を押し付けておいて、情けをかけていたと宣うのは、慣れているとはいえ頭に来る。
でも、一番我慢ならないのは、こうまでしないといけないほど、私が追い詰められていることを、理解してくれないこと。
誰が好き好んで、殺人的な真夏にこんな格好でいるというんだろう。私だって許されるなら、こんなことやめたいに決まっている。
でも、こうすることでしか麗華を繋ぎ止めることができないから、選択肢なんてないから命懸けで、こうしているだけなのに……
「良い機会だし、その格好やめられないなら、仕事やめてくれないかな?」
「わかりました。それじゃ、やめます。これまでお世話になりました」
自分でも驚くほど、やめると即答していた。麗華と付き合う前の私だったら、この仕事にしがみついていたと思う。この容姿で雇ってくれる場所を探すのがどれだけ大変か、バイトを探してこの店を見つけるまでに散々味わったから。
でも、もうどうでもよかった。仕事がなくなったら生活がそう遠くない未来で破綻するけど、麗華との天秤なら迷うまでもない。
仕事の代わりはあるし、なかったとしても飢えればいい。でも、麗華の代わりはいない。
制服を脱いでロッカーに押し込み、一年半近く働いた職場に別れを告げる。
良い思い出は一つとしてないけど、人生の約十二分の一を過ごした場所だし、麗華が表紙を飾る雑誌を買ったのもこの店だし、少し寂しい気がするけど、どうでも良いような気もする。

バイト先だった場所からの帰り道を歩きながら考える。私は今日どれだけのものを失っただろう。
学校では容姿の醜さだけでも致命的だったのに、頭がおかしいという属性まで付与されて、学生生活終了。バイトも解雇されたし、いよいよ私には何も残っていない。麗華以外には何も。
ここまでする価値があったのか、自分でもよくわからない。どうせ麗華と会えるのは多くても週に一回か二回。それだっていつまで続けられるかわからない。美人だって飽きられるのに、醜い私はもっとそうだろう。
容姿だけで人を繋ぎ止め続けることには限界がある。それでも、階層の違う人と手を繋ぐにはこうするしかなかった。
そもそも、これまでが異常だっただけなんだけどさ……こんなにも醜い私が何も犠牲にすることなく、麗華のような美しい人の恋人でいられたこと、それ自体が。
麗華の隣にいるためなら、私はなんだってする。しなきゃいけない。髪がない方が綺麗だと言われたら、引き千切る。指がない方が端正と言われたら包丁で切り落とすし、右目がない方が妖艶だと言われたら、アイスピックか何かを買ってきて抉り取る。
それくらいの覚悟もないのに、麗華と一緒にいられるなんて勘違いをしちゃいけない。私のような人間が。
ほんの少し厚着をして、熱中症で死にかけているくらいで根を上げる権利、持ってない。むしろ感謝すべきだから。これくらいの犠牲で済んでいることに。
あまりにも不公平で、理不尽なこの世界を怨んでいるけど、それでもちゃんと弁えている。私が何者であるかくらい。

※※※

私が厚着をするようになってから二日が経ち、水曜日がやってくる。
もはやクラスメイトも教師も、私の姿に何かを言う人はいない。醜い人間に触れたい人はいない。そこに到底理解できない奇行が加われば、暴力を加えようとか、排除しようとか、そういう気さえ失せてしまう。
きっとみんな、私が気持ち悪すぎて、恐怖すら感じているんだと思う。容姿の醜さに心の醜さを掛け合わせて限界を越えれば、美人と同じように自由に振る舞える……のかもしれない。
いまだってそう。校庭でのリレーに私は参加していない。班分けがあって、本来私が所属している集団があるはずなのに、なんかよくわからないけど、クラスメイトと教師が示し合わせて、私がないものとして問題なく進行している。
私が校庭から姿を消して、無人の教室で寝ていようと、きっと誰も気にしない。というか、その方がみんなにとってはいいんだろう。私みたいな人間、本当はこの世界にいない方がいいんだから。
でも、私は体育の授業を休むわけにはいかない。なんだかんだで私は、自分なりにどの授業も真面目に受けていた。勉強は醜い私が生き抜いていく武器になるかもと少し期待していたから。
だから、体育の授業をサボったら私の容姿はきっと変わってしまう。その結果、体重が減るのか増えるのか、筋肉が減ったり増えたりするのか、それはわからないけど、現状維持はできなくなる。
別に太ろうが痩せようが、そんなのどうだっていい。重要なのは、麗華が好きなのは”いまの私”だってこと。
だから、体育の授業は休めない。他の子がやっているのと同じ運動を、ただ一人で黙々と続ける。
他の子がクラスメイト同士で話し合ったりして、楽しそうに走っている中、私は孤独に校庭を厚着のままヘルメットを被って、走り続ける。
こうなることは自分でも納得しているけど、仲間はずれにされて、世界からもはぐれて、たった一人孤独に容姿を維持するためだけの作業に従事するのは……精神的にも、肉体的にもキツイものがある……
その辛さで、涙が溢れてきたのか、視界が少しずつ滲んできて……意識まで溶けていくような……